このウインドウを閉じる

Jack of all trades, and master of none.

 

 前回の「断章」のなかで、技術 (方法) は継承されながら改善されていく、と綴りました。方法自体の改善点として、以下の 2点が対象になります。

 (1) 理論 (無矛盾性と完全性)
 (2) 適用 (単純性と実効性)

 「技術は正しい理論を立脚点にしていなければ便法に過ぎず、理論は実地に適用されなければ空論である」 などと言えば、昭和 30年代には ウケ たでしょうが、今の時代では、「なにをいまさら」 と冷笑されるのが オチ でしょうね (笑)。

 僕は エンジニア なので、性質として、「手続き (how-to)」 が提示されていない意見 (主張) を嫌う傾向が強いようです。それが僕の長所であり、短所でしょうね。30歳まで 「文学青年」 だった僕は、エンジニア になるとは思ってもいなかった (笑)。僕が、日頃、会う人たちに対して、以下の点を、たまに訊いたりします。

  「どうして、今の仕事を選んだのですか。」

 意外なことに、おおかたの人たちは、(就職するまで、) 今の仕事とは、全然、ちがうことに熱中していたそうです。そして、彼らと話しをしていると、彼らの意見が、今の仕事のなかで体得した 「モノの見かた」 を立脚点にしているようです。

 (睡眠時間を除いたら) 1日のほとんどを仕事に費やしているので、仕事のなかで習得 (あるいは、体得した) 考えかたは、我々の人生観を形成するようですね。逆に言えば、自らの人生を費やして就業している仕事のなかで得た人生観や倫理観が 「健全な」 主張なのかもしれないですね。

 以下に綴る話は、昔、書物で読んだ 「実話」 です。
 画家になりたかった人 (A さん) が、画家になるまでの修業期間中に貧乏でいることが嫌だったので、ポスター とか看板を描く職業に就いたそうです。ただ、彼は自尊心が強かったようで、「芸術的な絵を描くこと」 こそ、いずれ、自らの仕事にするはずであって、今は (生活費を得るために) 不本意な仕事に 「仮に」 従事しているにすぎない、と考えていたので、周りの人たちを馬鹿にして、喧嘩ばかりしていたそうです。そして、仲間たちと折り合いが悪くなれば、転社を繰り返していたそうです。「オレ の実力は、こんな つまらない ポンチ 絵を描くためにあるのではない。」と。
 いっぽうで、他の人 (B さん) が、貧乏を覚悟して、最初から絵画をまじめに研究していて、その人のほうが、実力を次第に養って、良い絵を描くようになったそうですが、A さんは、「(B さんよりも) オレのほうが実力がある。」 と思い込んでいたそうです。終いには、A さんは、「芸術的な絵」 を 1つも描くことができないまま、人生を閉じたそうです。

 「(やりたい仕事の) 渦中にいる」 というのが大切なのでしょうね。外側から観ているだけでは、(仕事のなかで使う) 技術は身に着かない。
 自らの専門領域以外の領域に対して、どれほど、器用に手際よくまとめても--あるいは、熱意を抱いて、着想を訴えても--、しょせん、その領域に身を置いていない シロート が提示する意見など、その領域の プロ たちから観れば、子どもの作文同然でしょうね。
 僕は、最近、自らの専門以外の領域で、仕事を 2つ請け負って、2つとも降板されました (苦笑)。大いなる反省です、、、。

 (2003年10月18日)

  このウインドウを閉じる