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Will is no skill.

 
 すぐれた横綱であっても、いずれ、引退を迎えることになる。
 小生は、貴乃花関の大ファンだった。彼が十両の頃から応援してきた。そして、彼は、大横綱になった。彼の相撲を振り返ってみて、相撲史のなかに遺る勝負がいくつかあるが、千代の富士関を引退に追い込んだ勝負と、(貴乃花関が膝を故障していながら) 武蔵丸関と闘った勝負は、白眉の勝負だったと思う。

 武蔵丸戦では、武蔵丸 (横綱) は、貴乃花 (横綱) の弱点 [ 痛んだ膝 (足)] を蹴ることができたはずだったが、そうはしなかった。武蔵丸関が貴乃花関の膝を蹴れば、勝負は一瞬に終わっていた、と思う。しかも、四つに組んでも、武蔵丸関は、貴乃花関の膝を配慮して、勝負に集中できなかったのではないか、と思う。武蔵丸関にとっては、そうとうに取りにくい相撲だった。武蔵丸関が、勝ちたいがために、貴乃花関の痛んだ足を払ったら、武蔵丸関の「横綱」としての名声は、間違いなく、地に堕ちたでしょうね。
 武蔵丸関が全力を出せなかったことを割り引いても、貴乃花関の相撲はすばらしかった。貴乃花関は、回しを取られないように、武蔵丸関の右を押っつけて、武蔵丸関の右手を宙に浮かして、寄って投げをうった。投げた後に、貴乃花関は「仁王立ち」になって、壮絶な顔をしていた--貴乃花関は、普段、思いを、そのまま、顔に出す人ではない。この勝負を観て、小生は涙が出た。(もっとも、この膝の故障が、そのあと、貴乃花関の力士生命を奪うことになるのだが、、、。)

 貴乃花関の最後の勝負 (引退の契機となった勝負) は惨めだった。平幕の力士に振り回されて、土俵を割った。この勝負を観ていて、小生は、痛々しさに堪えられず、思わず、テレビから視線を逸らして、顔を下に向けた (翌日、貴乃花関は、引退した)。
 当時、小生も「引退」を考えていた頃であって、貴乃花関の引退は、小生にとって衝撃だった。

 小生は、フットボール (サッカー) も大ファンです。鹿島アントラーズの大ファンです (小笠原選手、柳沢選手と中田選手のファンです)。秋田選手と相馬選手は、クラブの来季の構想から外れてしまいました。二人とも、かっては、日本代表として、名手の誉れが高かった選手です。二人が全盛の頃 (in prime)、クラブに対する貢献度は絶大でした。しかし、選手として、全盛を過ぎた今では、戦力外の扱いになってしまった、、、。

 小生がスポーツをすきな理由は、チャンピオンになることを目指して戦い、たとえ、チャンピオンになっても、次の試合では、メダルをぶら下げて戦うことができないし、再び、チャレンジャーとして戦わなければならない、という点に対して魅力を感じるからです。
 日頃の練習を怠ければ、試合では勝つことができないし、たとえ、懸命に練習しても、勝つという確約はない。1つずつの試合の成績が積み重なって、「評価」になる、という端的な例がスポーツでしょうね。たとえ、チャンピオンになっても、冠に胡座して、祝杯に酔っていたら、次の戦いでは負けてしまう、という厳しい世界ですね。
 「勲章」は結果でしかない。「勲章」を纏って、次の戦いに臨むことはできない。「現役」で戦うということは、そういうことでしょうね。

 エンジニアにとって、「勲章」など「屁のつっぱり」にもならない。
 エンジニアとして、評価の対象になるのは、駆使できる「技術」です。しかも、技術を適用する対象 (たとえば、事業) は変化します。とすれば、エンジニアは、つねに、技術を最新の状態にしておかなければならない。そして、1つずつの仕事が、いつも、技術の適応について、成否を判断する戦いでしょうね。
 エンジニアが、「肩書き」を連ねた「有名人」を馬鹿にするのは理由がある。
 昔、「巣鴨の天皇」を自称する人がいたそうです。紙で作った「勲章」を数多く服にぶら下げていたそうです。

 もし、つねに戦うことが嫌になったら、試合を降りる (引退する) しかないでしょう。あるいは、技術の適応能力が落ちたら引退するしかないでしょう。

 相撲では、まいにち、四股を踏むという基本的な稽古をします。フットボール選手も、基本的な技術を、まいにち、繰り返して練習します。ピアニストは、まいにち、基本的な運指法を練習します。身体運動や技術が問われる領域では、まいにち、基本的な技術を繰り返して練習します。
 さて、我々エンジニアが、まいにち、繰り返して練習しなければならない基本的な技術というのは、いったい、あるのだろうか。プログラマはプログラマとして、SEはSEとして、まいにち、訓練しなければならない基本的な技術というのは、あるのだろうか。
 ちなみに、小生は、そういう基本的な技術の訓練は「ある」と思っています--小生自身、(まいにちではないけれど--苦笑) 基本的な技術の訓練はしていますから。
 意志は技能ではない。たとえ、熱心な意志があっても、たとえば、事業に役立つデータベースを構築しようしても、技術がなければデータベースを設計することはできない。

 システムを実地に構築する渦中から2年ほど離れていて、いきなり、システム構築のプロジェクト・リーダーになる、というのは尋常ではない--しかし、こういうことが実際に起こっている(!) 杜撰な業界だと思う、、、。

 (2003年12月22日)

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