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Ask much, know much.

 
 「合理的」という言葉の意味には、以下の2つがあるようです (「広辞苑」)。

 (1) 道理や理屈にかなっているさま。
 (2) 物事の進め方に無駄がなく効率的であるさま。

 (1)の道理を「理論的」というふうに考えれば、理論が成立するためには、「公準 (前提)」がなければならないので、「公準」を「目的」とすれば、「道理にかなうこと」は合目的性として判断してもいいでしょうね。とすれば、「合理的」というのは、「効果的 (effective)」と同値になるでしょう。そして、(2)は効率的 (efficient) ということですから、「合理的」という言葉の意味は、「効果的」と「効率的」の双方を兼ね備えている、ということになりますね。
 「合理的」は、日常の使いかたでは、(2)の意味合いがつよいようですが、学問の世界では、(1)の使いかたが多いようです。いずれにしても、「合理的」という言葉は、「効果的」と「効率的」を包括する言葉のようです

 さて、我々エンジニアは、自ら技術を作ったり、ほかの人たちが作った技術を使ったりしながら、技術を次第に改善してゆきます。エンジニアは、日々、技術と向き合っています。そういう日々のなかに、どっぷりと浸かっていれば、往々にして、「合理的」の意味を「効率的」と同値であるように思ってしまいます。

 1つの体系 (あるいは、制度) として確立された技術は、たとえ、それが「効果的」ではないとしても、「効率を追究する」目的があるかぎり--つまり、自己目的が存在するので--、存続します。しかし、今まで使ってきた技術が無効でないと証明されないかぎり使い続けるのではなくて、有効であると証明されないなら、新たな やりかた を考えるというのが「合理的な」思考ではないでしょうか。「合理的な」思考を体得することこそが、エンジニアの ethics ではないでしょうか。
 「効率」だけを追究して「効果」を等閑にすることを、「訓練された無能」というそうです。

 技術環境も事業環境も変化しますから、「合理的な」態度を体得していれば、「(「制限された合理性」にすぎない、あるいは、一過性に過ぎない) 自らの技術が最高である」というふうに驕る余裕もなくなるでしょうし、戦うべき敵は、「おのれ自身 (昨日の自己)」であることにも気づくでしょう。
 エンジニアが戦わなければならない敵は、制度として確立されている「先入観」です。

 
 (2004年2月9日)

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