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You can't give if you don't have.

 
 或る思想を誤解しても、のちのち、その誤解が、新たな飛躍を生むことがあるようです。
 道元禅師は、師である如浄禅師のおっしゃった言葉を誤解なさったのですが、禅の境地を開眼なさいました。道元禅師が入唐なさって、いくつかの地で修行を積まれ、最後に、如浄禅師のもとで修行なさっていたとき、如浄禅師は「しんじんとつらく」という言葉をおっしゃいました。その御言葉を お聞きになって、道元禅師は、一生の大事を体得なさいました。如浄禅師は、「心塵脱落」の意味としておっしゃったのですが、道元禅師は、それを「身心脱落」というふうに理解 (誤解) なさったのです。この誤解がなければ、日本が世界に誇る宗教書(かつ、哲学書)「正法眼蔵」は生まれていなかったかもしれないですね。
 道元禅師の誤解は、宗教史を変える歴史的な出来事になりました。最近の出来事で言えば、ノーベル賞を受賞なさった田中さんの「生涯最大の失敗」が、思い浮かびます。

 失敗を推奨することは、当然、できない。システム・エンジニアが、システム作りを失敗すれば、甚大な害が起こってしまう。システム作りでは、適切な設計図を作成して、設計図どおりに作って、作られたシステムに対してシミュレーション・テストを繰り返して、万全を期すことは、当然のことでしょう。したがって、技術は、つねに、的確でなければならない。
 的確な技術を駆使できるとなれば、それを体得しているエンジニアを雇えばよい、ということになります。つまり、技術を駆使することが商品価値であれば、技術を体得しているエンジニアは、1つの組織のなかで、永続して勤めなくても良い、ということになります。すなわち、1つの企業と雇用契約を結ばないで、技術を欲しがっている・いくつかの企業と、プロジェクト単位に契約すれば良い、ということになります。

 ただ、不安材料になる点は、高い技術力を体得したエンジニアでも、40歳を過ぎてから、技術力を、なお、向上する意欲があるかどうか、という点です。技術力が商品価値であれば、技術力が落ちれば、当然、商品価値は低下しますし、価値の低下した商品を、あえて、買う企業はないでしょうね。
 どんな人間にでも、製品としての lifecycle がある、と言えば、非情な言いかたになるかもしれないのですが、当然の事実です。

 技術の専門家として、1つの領域に対して集中することは、技術を improve するために大切なことですが、持っている卵を、すべて、1つの かご のなかに盛り込むことは、portfolio (投資資産運営) の観点から言えば、得策ではない。

 若い世代のエンジニアに対して与えたい助言は、(「佐藤正美の問わず語り」のなかでも述べましたが、)3つの領域の知識・技術を習得してください。まず、プログラム作成の技術を習得してください。そして、いっぽうで、データベース設計の技術と会計学の知識を習得してください。プログラム作成だけでも、そうとうな技術を習得しなければならないので、これらの3つの領域を習得することは辛い、と思います。種を蒔く時期と実を刈り取る時期は同じではない。もし、あなたが20歳代であれば、いま、努力すれば、30歳代に、花開くと思ってください。もし、あなたが30歳代であれば、いま、努力すれば、40歳代に、花開く、と思ってください。
 そして、20歳代・30歳代であれば、誤解することや失敗することを畏れないで、仕事に挑戦してください。20歳代・30歳代であれば、いくらでも、やり直しができます--40歳代になれば、そうはいかない。

 20歳代・30歳代であれば、人間関係と称した・小賢しい政治的な駆けひきを覚えなくても良い。そういう駆けひきは、いずれ、40歳代になれば、嫌と言うほど、やらなければならなくなるでしょうから。真っ直ぐに、愚直に、3つの領域 (1つの専門領域と2つの準専門領域) を修めてください。

 
 (2004年3月11日)

 

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