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Harvest follows seedtime.

 
 アプリケーションごとに、おおまかなパターンを知っていることは、(パターンを「現実のモデルである」というふうに思いちがいしないのであれば、) 悪いことではない。そういうパターンは、参照知識 (Frame of Reference) として役立つ。というのは、1つの事実的対象を「理解」するためには、ほかの概念を対比しなければならないから。

 たとえば、(理論を無視して、) 現実を「凝視」すれば、現実を記述できる、というふうに思いこんでいるSEたちが多いようだが、現実を「凝視」するには--そして、現実を観て、問題点を感知するためには--、あらかじめ、問題点を定式化できるだけの理論がなければならない。同じ事態を、こども と おとな が観ても、それぞれ、抱く「像」はちがう。

 とすれば、理論を多く知っていればいるほど、事態と対比して、考えるための立脚点 (概念) を多く習得していることになる。ただし、現実的事態は変化する。とすれば、たとえば、企業が関与している環境は、刻々と変化するし、その変化に対応して、事業過程も、次第に再編成される。そして、理論も、時代の歩みのなかで改良される。とすれば、習得する理論は、最新の理論であればあるほど役立つ、ということになる。

 ただし、「思想」を対象にした書物は、かならずしも、最近の出版物が良い、という訳ではない。「思想」を対象にした書物は、最新の出版物に比べて、逆に、歴史のなかで読み継がれてきた「古い」作品のほうが良い。だが、「対象科学」では、最新の書物のほうが良い。

 モデル (modeling) に関する書物ばかりを読んで、「対象科学」の書物を読まない、というのは--ときには、モデルを知っていることを自慢するように、「理論 (対象科学の理論) など読まない」というふうに (間の抜けたことを) 言うSEたちもいるが--、対象的事実を記述することを仕事とするSEが、対象科学の理論を知らない、というのでは、(自慢にはならないし、) 自ら、無知であることをさらけだしているにすぎない。

 「真」という概念は、「現実との対比」のなかで検証されるということと、「現実との対比」を前提にした導出規則のなかで論証される、という点を、SEは、つねに、確認してほしい。
 そして、「現実」を認知するためには、あらかじめ、なんらかの既存知識(いままで、歴史のなかで継承されてきた理論)が前提になっていることを再確認してほしい。

 
 (2005年 1月16日)

 

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