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He that knows little, tells it quickly.

 
 仏教では、「仏の家に投げ入れて」という言いかたがあります。この名文句は、ぼくの気に入っている句の1つです。

 近年、専門化の「たこつぼ」化が進んで、隣接する専門領域のことを知らない--みずからの専門領域に専念していて、隣接する専門領域のことを知る機会(および、余力)がない--という状態に陥っています。
 そして、専門領域の対象たり得る事態に対して、専門知識を適用しているかぎりでは、確実に考えることができるので--思考が空転することがないので--自信満々に しゃべることができる。

 自信を抱くことはよいのですが、往々にして、(ひとつの専門領域の考えかたを、ほかの事態にも適用して、) 対比意識や当為意識が高まって、自信が「驕り」に変質することがあるようです--そういう人たちを、ぼくは、多々、目にします。
 あるいは、それらの意識がないにしても、往々にして、話の のっけから、「××はダメだね」 と言い放つ人たちも、多々、目にします。そういう言いかたは、「主張を最初に言う」 というプレゼンテーションの定跡に従っているのではないようです。というのは、その切り出しのあとで、そう思う理由が示されることは、ほとんど、ないから。

 われわれの考えかたは、歴史のなかで継承されてきた膨大な知識を底辺にしています。そして、そういう知識のなかでも、上質な知識が、学問の知識でしょうね。
 さて、みずからの考えを、(「仏の家に投げ入れて」 という言いかたを転用すれば、) 「学問の家に投げ入れて」、検証してみては どうでしょうか。そうすれば、自信が「驕り」に変質することを未然に食い止めてくれるでしょう。「自信を以て、謙虚に、しゃべる」ようになるのではないでしょうか。「学問の家に投げ入れて」という言いかたを、ぼくは、みずからの戒めにしています。

 
 (2005年 8月 1日)

 

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