このウインドウを閉じる

To sail in the same boat.

 


 「日本人は 『建前と本音』 を巧みに使い分ける」 というような言いかたがあるようですが、はたして、そうなのか、と考えてみれば、そういう言いかたは、over-simplification にすぎないでしょうね。

 たとえば、システム作りのフ゜ロシ゛ェクト が設置されて、フ゜ロシ゛ェクト の目的 (システム理念や、実地に導入する技術など) が提示されて同意されたら、およそ、フ゜ロシ゛ェクト に参加しているエンシ゛ニア たちは、個人的に、どのような気持ちを抱いていようが、その目的を実現するために、技術を駆使するのが、エンシ゛ニア の「建前」でしょう。

 しかしながら、現実には、フ゜ロシ゛ェクト の会議が終わってから、「会議の 『場』 では、反対できないような空気だったので、わたしは、なにも言わなかったけれど、あの考えかたには、わたしは、賛同できない」 などということを、平然と言うエンシ゛ニア たちを、ぼくは、多々、観てきました。こういう状態のことを 「建前と本音」 というふうに言っているようですが、「建前」 という用語を間違って使っているのではないでしょうか。
 「建前」 というのは、「空頼み」のことではなくて、「大義、原則」のことをいうのですから、いったん、「建前」として導入された協約は、「契約」と同義なのであって、かならず、守らなければならない 「申し合わせ」 のはずです。

 男女平等が、work-place で取り決められたならば、男尊女卑という陋習を依怙贔屓する人であっても、「建前」 として、男女平等を守らなければならないはずです。「議事録の清書は、(ウチの) 事務の女の子にやらせます」 などというふうに、平然と言う男性の知性を、ぼくは疑います。

 フ゜ロシ゛ェクト に参加している人たちが、新しい技術の導入を同意したのならば、その技術を成功裡に導入するのが、フ゜ロシ゛ェクト に参加している人たちの使命であって、もし、その技術の導入が、当初の計画どおりに進捗しなかったとしても、なんとかして、成功するように尽力するのが、フ゜ロシ゛ェクト として同意された 「建前」 です。その 「建前」 を無視して、「だから、わたしは、反対だったんだ」 などというふうに言って、自らを 「a good boy」 として示す態度は、フ゜ロシ゛ェクト に参加し続けた エンシ゛ニア として 「下衆(げす)い」 態度です。

 そういうふうに、「建前」 を平然と破るのであれば、フ゜ロシ゛ェクト の同意がなされた時点で、「わたしは、反対する」 と言って、フ゜ロシ゛ェクト を去るほうが、エンシ゛ニア として、良心的でしょう。もし、フ゜ロシ゛ェクト が成功したら、それでも、「わたしは、反対であった」 というふうに言うのでしょうか。そういう「下衆(げす)い」人は、フ゜ロシ゛ェクト が成功して、フ゜ロシ゛ェクト に参加した人たちが喜んでいる様を観て、苦々しく思いながら、きっと、(反対であったことを) 黙っているでしょう。

 いったん、同意したならば、個人的な いきさつ はどうであれ、成功に向けて尽力する、というのが 「建前」 です。

 
 (2005年 8月16日)

 

  このウインドウを閉じる