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What they seem are seldom what they are.

 

 「思考力」 とは なにか と、改めて、問われたら、的確な返事をするのが むずかしいですね。「思考力」 を考えるためには、たぶん、生理学や心理学や論理学や哲学などの学問的な知識を援用しなければならないでしょう。

 「思考力」 を、ここでは、単純に考えて、「思うこと」 と 「考えること」 の複合的概念としましょう。そして、「考えること」 とは、ここでは、「トートロシ゛ー (恒真命題) を使って、1つの モテ゛ル を構成することである」 というふうに、限定した意味として使いましょう。つまり、「構成力」 とします--数学的・論理学的な証明可能性 (計算可能性) としましょう。

 とすれば、「前提」 を起点にして、(飛躍のない) 導出を辿って構成された体系は 「正しい」 とされ、この導出規則 (アルコ゛リス゛ム) が 「思考過程 (思考の フ゜ロセス)」 でしょうね。この考えかたは、きわめて、(数学的・論理学的で、) システム・エンシ゛ニア 的かもしれない。
 ただ、フ゜ロク゛ラム や システム を作る エンシ゛ニア は、そういうふうに考えなければ、フ゜ロク゛ラム や システム を作ることができないでしょうね。

 さて、「正しい」 ロシ゛ック (考えること) の効率を計測することは、非常に むずかしいのですが--いったん成立したら、次第に、改良されて、エレカ゛ント になる、という前提に立って--効率的であるとしても、論点になるのは、「(適用上の) 効果」 です。

 いくつかの対象的事実を観て、汎用的な モテ゛ル を作って、「(モテ゛ル の) 誤り排除」 をくり返して、モテ゛ル を整える、という やりかた が一般的な やりかた でしょう。
 「思うこと」 というのは、いくつかの対象的事実を観て、それらのなかに、法則性を感知する力ではないでしょうか。つまり、(もう少し広い意味に使って、) 「着想力」 と言ってもいいでしょう。

 単純に言い切ってしまえば、「思うこと」 は 「対象指向 (what-oriented)」 であり、「考えること」 は 「過程指向 (process-oriented)」 かもしれない。そして、「思考」 には、これら 2つが混成されていて、それらの どちらか いっぽうが成立するような 排他的関係にはない、ということです。「思考」 の この性質が、「思考力」 を使って作られる モテ゛ル にも影響しているようです--もし、その モテ゛ル が、ちゃんと 「思考」 されているならば。

 
 (2005年10月 8日)

 

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