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He that is dim-slighted has eaten darnel.

 

 先日、小生の愚息 (中学1年生) が、学校の宿題として、「親の仕事」 について、以下の諸点を訊いてきました。

 (1) いまの仕事を選んだ理由
 (2) 仕事をしていて、うれしいと感じるとき
 (3) 仕事をしていて、つらいと感じるとき
 (4) 子どもが仕事に就いたときに、期待したいこと

 
 愚息が小生の部屋に入ってきて質問したとき、小生は机に向かって仕事をしていたので、気持ちが仕事のほうに向かっていて、かれの質問に対して、ほどほどに応えて、(1) について、「最初に勤めた会社で、騙されて、フ゜ロク゛ラマ になった」 と言ったら、かれは、そのまま、記入しました (笑、そして苦笑)。それは確かに事実なのだけれど、学校に提出する レホ゜ート としては 「ふさわしくない」 と思い、小生は、前言を慌てて訂正して、当たり障りのない 「理由」 を述べました (笑)。

 (2) については、「ほかのだれもやれないことをやって、お客さんの仕事に貢献したとき」 と言っておきました。ほんとうなら、「ほかの エンシ゛ニア が実現できないような 『テ゛ータヘ゛ース の驚異的な高 ハ゜フォーマンス』 を実現して、『どうだ、まいったか。これが マサミ だ。』 と、みんなに示したとき」 と言いたかったのですが、かれにも学校の先生にも、そう言ってもわからないでしょうから、当たり障りのない言いかたにしました (笑)。

 (3) については、「ない」 と言いました。これは本心です。いままで (ただし、30歳以後)、自分の好きなことを好き勝手にやってきたので、いまの仕事を 「つらい」 と思ったことはない。ただ、読書をしていて、そうそうたる天才たちの著作を読んで理解できないときや--歴史を変えた天才たちの著作を読んで、そうそう、理解できる訳でもないことは自覚しているのですが--、検討している対象に対して、なんらかの問題点を感知しているのだけれど、なかなか、ソリューション を考えられないときなどは、さすがに、「つらい」 と思うときもありますが、「つらい」 ということに比べて、「みずからとの戦い」 という感じのほうが強いので、「つらい」 と直に感じたことはない。

 さて、(4) については、以下のように丁寧に応えました。

   良質の資料を豊富にあつめなさい。
   資料を正確に読んで、正しい判断をできるようにしなさい。
   自分の信じたことを実現できるように、がんばりなさい。
   自分の判断を信じるいっぽうで、他の人たちの意見を公正に聴きなさい。
   もし、自分が間違っているとわかったら、間違いを直ちに訂正しなさい。

 
 それらを言ったあとで、ふと思ったのは、こんなことは、仕事をするなら当然の前提であって、いまさらながら、言うほどのことではないかなと。

 ただ、システム・エンシ゛ニア たちが、たとえば、モテ゛ル ばかりに興味を抱いていたり、事業過程の個々の事象ばかりに注意を注いで、「経営」 という観点からの思慮が足らなかったり、あるいは、みずからの技術を最高と自惚れて、ほかの代替手段に対して配慮しなかったりすることを、小生は、多々、目にするので、そして、小生みずからの反省を入れて、愚息には 「心得え」 を丁寧に述べました。

 
 (2005年12月16日)

 

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