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He catches the wind with a net.

 

 TM (T字形 ER手法) は、「(テ゛ータ 構造に対する)モテ゛ル 技法」 として整えましたが、モテ゛ル の観点からのみ話題にされることを私は嫌っています。

 TM を作った理由は、いわゆる 「waterfall モテ゛ル」 に対する アンチ・テーセ゛ とするためでした。その辺の いきさつ は、本 ホームヘ゜ーシ゛ の随所に記したので、ここでは割愛しますが、TM は、「waterfall モテ゛ル」 の アンチ・テーセ゛ として、1つの手法を使って、「テ゛ータ 設計、事業解析、および (フ゜ロク゛ラム の) アルコ゛リス゛ム の I/O 化」 を同時に実現することを目的としています。言い換えれば、「1つの マスター・フ゜ラン (設計図) を利害関係者が共有する」 ことを目的としています。すなわち、「コミュニケーション 技術」 として TM を作りました。

 モテ゛ル を作る際、モテ゛ル が考慮しなければならない 「公準 (前提)」 として以下の 2つがあります。
  (1) 環境的公準
  (2) 構造的公準

 環境的公準は要請的公準とも云い、モテ゛ル の目的 (だれのための、なんのための モテ゛ル であるかを検討すること) を検討することを云います。構造的公準は、「妥当な モテ゛ル」 として作用するための構造 (公理系) を検討することを云います。

 環境的公準は、それぞれの応用科学では、それぞれ相違していますが、共通して問われる点は、モテ゛ル の 「有用性」 です。つまり、「ききめ」 があることです。したがって、それぞれの応用科学では、「だれのための有用性」 なのかを見定めていなければならない。事務系のコンヒ゜ュータ・システム を作る領域では、経営目的を実現するために モテ゛ル を使うので、当然ながら、経営の文脈のなかで モテ゛ル の有用性が問われます。
 事務系の コンヒ゜ュータ・システム では、代表的な利害関係者として、ユーサ゛ 、システム・エンシ゛ニア と フ゜ロク゛ラマ がいます。しかも、経営成績の報告が、四半期になって、「短納期、高品質、低投資」 が経営の標語となっている状態のなかで、コンヒ゜ュータ・システム を経営に役立つように作らなければならない。そうした環境のなかで、システム・エンシ゛ニア 主導の システム 作りを私は疑問視しています。少なくとも、経営 (管理過程) の現状を記述する際、システム・エンシ゛ニア の視点など抹殺したほうが良いと私は思っています。

 モテ゛ル は、モテ゛ル であるからには、構造的公準を満たすために、科学的手法として、1つの公理系になっていなければならない。モテ゛ル は、システム・エンシ゛ニア が現実の事業過程を観ながら、絵を作成するための描画法であってはいけない。なぜなら、システム・エンシ゛ニア の理解度 (恣意性) を前提にした事業過程の構造などは 「事実」 にならないから。

 TM は、環境的公準を満たすために--「短納期、高品質、低投資」 を実現するために--、1つの手法を使って分析・設計を同時に実施して、構造的公準を満たすために、経営の文脈のなかで使われている 「語い」 を対象にして--システム・エンシ゛ニア の視点を抹殺して--、管理過程に対して構造を与えて、その構造図を様々な利害関係者が共有して検討できるように作られました。

 もし、モテ゛ル を、モテ゛ル そのものとして検討するのであれば、どのような公理系になっているかという点が問われるのであって、システム・エンシ゛ニア が モテ゛ル を使って、どれほど、「美しい」 絵を作図したかなどと競い合うのは 「美術の展覧会」 であって、科学博ではない。モテ゛ル が、ちゃんとした公理系になっていれば、1つの事象に対して、だれが、いちばんに 「美しい」 絵を描いたかなどは、そもそも、話題になるはずがないでしょう。数学では、「エレカ゛ント な」 という言いかたをしますが、証明法 (アルコ゛リス゛ム) に対する形容詞であって、数学者の力量を言及しているのではない。

 経営の文法を無視して、作図法に多大な興味を示している システム・エンシ゛ニア は、practitioner に値しないでしょうね。

 
 (2006年 1月 8日)

 

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