このウインドウを閉じる

Do not convert certainty into uncertainty.

 

 TM (および TM') は、正確に言えば、テ゛ータ・モテ゛ル ではない。
 テ゛ータ・モテ゛ル とは、テ゛ータ 構造・テ゛ータ 演算・制約 (integrity) の 3つを揃えた体系を云う。したがって、TM (および TM') は、テ゛ータ 演算を提示していないので、テ゛ータ・モテ゛ル ではない。テ゛ータ 演算について、TM (および TM') は、現時点では、コット゛ 関係 モテ゛ル が提示した 集合演算・リレーショナル 代数演算を継承している。

 また、TM (および TM') は、いわゆる 「DOA (Data-Oriented Approach)」 かと問われたら、そうでもあるし、そうでもない。
 「そうでもある」 という意味は、「『テ゛ータ の独立性 (data-independence)』 を DOA の目的・前提であるとすれば」 ということである。「そうでもない」 という意味は、TM (および TM') は、「(「情報」 のなかでの語-言語の使いかた」 を重視しているので、) どちらかと言えば、「言語の形態論」 に近い。ただ、「言語の形態論」 とは云っても、意味論と構文論を主体としていて、語用論そのものを導入している訳ではない。TM (および TM') は、セマシオロシ゛ー の観点に立っている--ただし、「意味」 の歴史的変化を対象にはしていない。意味論 (semantics) という観点から判断すれば、TM (および TM') は、論理的意味論であって、記述的意味論ではない。

 コット゛ 関係 モテ゛ル では、「意味」 は構造の制約条件として記述されている。しかし、かならずしも、そうにはならないと思う。たとえば、多値に対して、関数従属性を使えば、「OR 関係」 と 「AND 関係」 の相違点は、構造を観て判断することができない--具体的に、「単価」 が多値になっている現象 (OR 関係)と 「HDR-DTL」 の現象 (AND 関係) を想像してみればよい。
 TM (および TM') では、(コット゛ 関係 モテ゛ル に比べて、) 意味論を強く導入して、多値の構造に対しても、構造的相違点を示している。

 「テ゛ータ の論理的独立性」 (外部層と概念層の独立性) において、外部層の対象 (伝票などのフォーム 形式) に対して、意味論を適用して構造を与える手法が TM (および TM') である。ただし、意味論として導入した概念は、外部層の対象に対して、性質を 「event と resource」 として サフ゛セット 化したのみであって、その意味論を前提にして、構文論 (4つの文法) を TM は提示している。TM の特徴は、以下の 3点にある。

 (1) 外部層の対象を 「合意」 して認知するために、「認知番号」 を使う。
 (2) 外部層の対象を、性質に従って、2つの サフ゛セット に類別している。
 (3) それらの性質に従って、関係文法を用意している。

 (1) および (2) で意味論を適用している。
 外部層の対象は、事業過程そのものではなくて、(事業過程を コントロール している) 管理過程のなかで使われている フォーム 形式である。前述したように、TM は、(事実的現象を起点にして語-言語を調べる オノマシオロシ゛ー ではなくて、) 語-言語--記述--を起点にして事実的対象を理解する セマシオロシ゛ー の観点に立っている。単純に言い切ってしまえば、事業を運営・管理している--すなわち、記述している--ト゛キュメント を読んで、事業 (いま営まれている事業すなわち現状) を理解するという アフ゜ローチ である。
 当然ながら、いままで使われてきた 「情報」 が現実的事態に対応できていないので、現実的事態に対応するために補足的に導入された インフォーマル・テ゛ータ も 「情報」 として外部層の対象である。

 こういう アフ゜ローチ (「情報」 を テ゛ータ 構造の インフ゜ット にする アフ゜ローチ) を否定する人たちもいるが--かれらが この アフ゜ローチ を否定する理由は、「『情報』 は現実的事態を調べたあとで、検証手段として使うにすぎない」 という点にあるようだが--、そう主張するのであれば、現実的事態を 「網羅的に、正確に」 記述するやりかたを提示してほしい。そして、現実的事態を記述する際には、少なくとも、以下の点を担保してほしい。

 (1) 現実的事態を記述する システム・エンシ゛ニア の認知力を前提にしない。
 (2) 現実的事態を テ゛ータ 構造 に対応 (写像) するための (システム・
    エンシ゛ニアの恣意性を排除した) 関数

 およそ、この 2点が実現されないかぎり、分析手法は科学的手法にならないでしょう。ただし、これらの requirements は、テ゛ータヘ゛ース を作ることを目的にしているのであって、「事業そのものを設計する」 ことを目的としているのではない点に注意されたい。

 
 (2006年 1月16日)

 

  このウインドウを閉じる