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Where nothing is, nothing can be had.

 

 技術そのものは、哲学を抜きにして語ることもできるし使うこともできます。 しかし、哲学を除いて技術を作ることはできないでしょう。なぜなら、哲学は、問題を明晰に定式化する思考のことだから。

 私はテ゛ータヘ゛ース・エンシ゛ニアなので、philosophy と logic と mathematics のあいだでは、どのような境界線があるのかを語ることはできないのですが、みずからの技術を作るために、それらの学問から多大な恩恵を得てきました。そして、読んだ書物の数から言っても、コンヒ゜ュータ の書物に比べて、それらの学術的文献のほうが段違いに多い。ただ、私は、それらの学問領域の専門家 (研究者) ではないので、最新の研究 (in the forefront of research) に携わっているのではなくて、それらの領域のなかで継承されてきた基本的な概念・技術を みずからの仕事のなかに転用できる工夫をしているに過ぎない。

 コンヒ゜ュータ 科学 (computer science) と云えば、離散数学を基礎にして、上述した学問のなかで、数学が重視されていますが--それはそれで役立つのですが--、哲学 (および、logic) も、もっと、重視したほうが良いのではないでしょうか。

 たとえば、コット゛ 関係 モテ゛ル は (数学的な検討を離れて、) 「技術」 として使っても、(対象の) 「意味」 という怪物が道 (技術の適用) を遮るように現れてきます。そして、その 「意味」 を まじめに考えようとすれば、哲学の助けを得なければならないでしょう。ところが、そういう学習をしたいと思っても、コンヒ゜ュータ 科学を哲学の観点から検討した書物が ほとんど ない。そのために、哲学を あらためて学習しなければならないというのが現状でしょう。エンシ゛ニア が哲学の学術文献を独力で読まなければならないというのは、非常に辛い。コンヒ゜ュータ を抜きにして現代社会を語ることはできないでしょうから、哲学のほうでも、コンヒ゜ュータ に関する考究を、もっと、進めていただきたいと思っているのは私だけではないでしょう--哲学のほうで、そういう文献はいくつかあるのですが、現代社会のなかで コンヒ゜ュータ が占める役割・比率を鑑みれば、もっと、多数の書物が出版されていても良いと思うのですが、、、それとも、そういう考究は、(哲学の対象ではなくて、) 社会学の対象とされているのかしら。

 「コンヒ゜ュータ 科学のための哲学」 という書物を、哲学の専門家が記すことを期待しております。

 
 (2006年 4月 1日)

 

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