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Like knows like.

 

 「マサミさんは、さぞ、オブジェクト指向に反対なさっていらっしゃるのでしょう」 という妙な意見を面と向かって言われることがあるのですが、私は、オブジェクト指向に対して好意的な態度をとってきたつもりです。私自身は、SmallTalk 系の青木淳さんの考えかたに共感を抱いています。彼の著作 「オブジェクト指向システム分析設計入門」 (SRC 社刊) を読んだかぎりでは、私は、彼に近い考えかたをしています。

 私の仕事の起点は、コッド関係モデルおよび RDB だったので、TM (T字形 ER手法) を、いま、RDB 向けに制限していますが--数学的に言えば、第一階述語論理と セット 概念を基本的な前提にしていますが--、もし、経営過程向けのシステム作りにおいて、OODBMS が RDB に取って替わるのであれば、TM (T字形 ER手法) をオブジェクト指向-向けに調整する しくみ は、TM のなかに組んであります。

 TM (T字形 ER手法) は、経営過程向けのシステム作りという domain (あるいは、universe) に制限していますし、かつ、「語-言語 (word-language)」 を対象にするという制限を付しています。それを超えて TM (T字形 ER手法) を使っても、ききめ を確約できない--なぜなら、私は、そういう使いかたを験証してこなかったから。

 TM の技術そのものは、数学・論理学・哲学・会計学・生産管理などの学問では 「通論」 となっている初歩的な技術を使っていて、私の独自な着想など皆無です。私がやったことは、それらの学問のなかで当たり前な基礎技術をあつめて、継ぎ目が見えないように組織したというだけのことです。
 TM を整えていた途中で、いかにも、私が独自に考えたような錯覚 (自惚れ) に陥ったこともありましたが、或る程度、整った頃に、数学・論理学・哲学・会計学・生産管理の観点から、TM を再検討してみたら、極々当たり前の技術--しかも、初歩的な技術--しか使っていないことがわかって、みずからの錯覚を恥じましたし、みずからの実力のなさに対して落胆しました。しかし、落ち着いて考えてみれば、独自の考えなどないということは当たり前であって、歴史のなかで継承されてきた上質の学問知識を超えることは私のような凡人にはできる訳もない。

 TM が経営過程 (事業過程・管理過程・組織過程) を対象にしている理由は、「情報 (語-言語)」 を事実的対象にして、数学的な 「対偶」 を使いやすいからです。すなわち、経営過程では、事業過程に対して、管理過程が、すでに、管理 モデル として存在しているので、「対偶」 を使いやすい--したがって、データ・モデルを、システム・エンジニアが抱いている 「像」 を離れて、公理系として組みやすい。すなわち、以下の 「対偶」 を使えばよいということです。

  (1) 命題として、管理過程である ⇒ 事業過程である。

  (2) 対偶として、¬(事業過程である) ⇒ ¬ (管理過程である)。

 (2) では、「¬」 は論理的否定を意味して、「事業過程でないならば、管理過程ではない」 という意味を示しています。(1) と (2) は同値です。とすれば、管理過程のなかで使われている 「情報」 を事実的対象にして、「情報」 のなかに記述されている 「文」 を分析すればよいということになります。

 ただし、事業過程と管理過程は、かならずしも、「全射」にはならないので、管理過程として管理されていないけれど、実際の仕事のなかで営まれている手続きもありますので--そして、そういう手続きを管理過程のなかに取り込めば、事業が いっそう効果的・効率的に運営される可能性もあるので--、以上の対偶に対して、以下の 3点を考慮して、「情報」 を分析します。

  (1) 事前報告・進捗報告・事後報告

  (2) 標準値・実績値・標準と実績の対比・フィードバック

  (3) 作業日報

 以上の 3点を、どのようにして考慮するかという点は、かつて、「ベーシックス」 で述べたので参照してください (480 ページ)。

 クラス図を、まるで、オブジェクト指向の中核技術のように錯覚している人たちもいますが、「クラス も オブジェクト にできる」 というのが正しい。オブジェクト の原義は、あくまで、カプセル化です。
 オブジェクト指向のなかには、語-言語を対象にしてオブジェクトを作る門流もいますし、TM は 「語-言語」 を対象にして データ 構造を考えますので、オブジェクト指向と TM は、なんらかの交流ができるのかもしれない。

 
 (2006年 5月23日)

 

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