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The nettle grows where the rose was expected.

 

 私は、「ミーハー 本 (a lowbrow magazine/book)」 を軽蔑しています。また、journalese (ジャーナリズム 特有の文体) も軽蔑しています。もっとも、聞くところによれば、私 (あるいは、T字形 ER手法) は、「2 ちゃんねる」 では、DQN (ドキュン) と蔑称されているそうですが、「iconoclast」 と言ってほしいですね (笑)。私 (あるいは、T字形 ER手法) を DQN と蔑称したひとは 「iconoclast」 の意味を すぐに わかるかしら (笑)。

 ただし、私は、入門書を軽視している訳ではない。だれでも、最初は、入門書の手ほどきを得なければ、さらなる途を進むことはできないでしょう。したがって、入門書は、とても大切な起点であり、専門家のなかでも、その道を知り尽くした最上級の専門家が入門書を執筆すべきだと思っています。

 ただ、私は、みずからの性質の欠点として、「初級者向けの書物を執筆する」 ことを嫌っていることを認めます。私の著作で言えば、「論考」 も 「赤本」 も入門書なのですが、世間では、「難解」 という評が立っているそうです。あの程度のことを 「難解」 と言われたら、私は、逆に、システム・エンジニア の思考力が落ちているのではないかと訝しさを感じます。
 当然ながら、「論考」 も 「赤本」 も、「わかりやすい」 書物にするように、執筆することはできます。ただし、そうすれば、伝えなければならない論点が、きわめて少量に限られてしまいます。私は、「わかりやすく」 説明することが 「できる」 のだけれど、そういう仕事を 「やらない」。

 私は、塾講師をやったときに、小学生・中学生・高校生に対して、国語も数学も英語も、非常に 「わかりやすく」 説明できる教師として人気がありました。その点 (「わかりやすい」 説明をする教師ということ) は、当時、私の自慢でした。

 しかし、私の頭のどこかに、そういう仕事は、私の仕事ではないという ブレーキ がかかっているようです。というか、もっと、正直に言えば、「みずからの専門領域では」、そういう仕事は、新たな道を開拓する研究者のやるべき仕事ではないと軽蔑しているようです。

 ただ、故・小西甚一先生--第一級の国文学者でした--は、そういう 「研究者が入門書を綴りたがらない」 という態度を非難していらっしゃいました [ 本 ホームページ の 23ページ 参照 ]。そして、かれは、みずから、高校生向けの参考書を執筆なさった。小西先生のやりかたを見習わなければならないでしょうね。

 高度な論点を (正確性を犠牲にしたとしても) レベル を下げないで、「わかりやすく」 説明するというのは、きわめて高度な ワザ であって、「面白可笑しく」 説明することが 「わかりやすい」 説明ではないでしょうね。昨今、「面白可笑しさ」 を 「わかりやすい」 というふうに錯覚しているような、あるいは、ミーハー 向けの雑誌に観られる見出しの 「...に学べ」 という journalese を多用したような 「ミーハー 本」 が多いと感じているのは、私の錯覚かしら、、、。

 
 (2006年10月 1日)

 

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