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Logic must take care of itself. (L. Wettgenstein)

 

 或る技術を長いあいだ使っていて、その適用を工夫して、その改良を重ねることは正しい措置だと思うのですが、1つの技術を同じように くり返して使っていたら退屈するのか、うっかりすると、改良の際に技巧を凝らして、単純で使いやすい技術を 「凝った」 技術に変形してしまい、「改良」 であるべき工夫が 「改悪」 に陥ってしまうことがあります。

 私は、数学の シロート ですが、「数式を使った証明」 を眺めることが好きです。証明式は、真とされる命題 (公理) からはじまって、ひとつずつ、順々に展開されて、有効な推論によって、ほかの命題を導きます。「エレガント な」 証明には、ムダ な式がない。「エレガント」 というのは、着想が すばらしいと同時に、「すっきりした」 という意味だと私は思っています。或る命題を証明する際、無矛盾な証明が 2つあるなら、私は、単純な証明のほうが好きです。

 科学法則や数学の証明式では、単純なほうが良いと私は思っているのですが、技術を作るとなれば、単純性が単調性になることを怖れて、ややもすれば、私は、技術を使う人たちに対して技術が知的に見えるように 「凝った」 技巧を施してしまう誘惑に駆られることがあります。1つの技術が極限の単純性を実現しているかどうかという点は、以下の 2つの観点から検討されなければならないでしょうね。

 (1) その技術を使う目的 (有用性)
 (2) その技術の 「しくみ」 (妥当性)

 ハンス・ホフマン 氏は、以下のように言っています。(参考)

     The ability to simplify means to eliminate the unnecessary
     so that the necessary may speak.

 技術を使う目的に合わせて技術の しくみ を作るので、目的 (necessary) にそぐわない装飾は排除されなければならないでしょうね。さらに、技術は 1つの有機体 (mechanism) ですから、それぞれの部品は、それらが構成する有機体のなかで、連鎖して作用しなければ ムダ な部品でしょうね。

 
(参考) Hans Hofmann, German born US painter. "Search for the Real".

 
 (2007年 1月 1日)

 

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