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Where there are no fish, even a crayfish calls himself a fish.

 

 前回 (2007年 3月23日付け 「反 コンピュータ的断章」) に引き続いて、荻生徂徠が記した以下の文について考えてみましょう。

  (1) (老子は、) 人に理解させようとばかり努力し、人の知恵が自然に発生するの
    を待たなかったから、具体的な事物を捨象して名称のみを論じた。

  (2) (老子は、) 論じかたは巧みであるが、実際に目で見るには及ばない。しかも
    名称だけで具体的な事物がなく、空虚な表現で形容したから、その主張は いろいろ
    と説けば説くほど誤って来る。それを述べる者も推測で言うし、聞く方も推測で聞き、
    勝手な方向へと どこまでも拡大されてとどまるところがなく、言葉の花を楽しむだけ
    で実を食べることがない。

  (3) (老子は、) 聖人の教えを不足とし、その上に乗り越えて出ようとしたからで
    あって、まさに身のほどをわきまえなかったと知れるだけのことなのだ。

 前回は、(1) を検討したので、今回は、(2) と (3) を検討しましょう。
 (2) は、徂徠の言う 「格物致知」 を前提した文でしょうね。「格物致知」 とは、朱子学では、ふつう、後天的な知を拡充 (致知) して、あらゆる事物に内在する理を窮めて究極の宇宙普遍の理に達することをいうのですが、徂徠は、そのような考えかたを 「格物窮理」 として非難しました。そういう考えかたでは、物 (事物) と言・辞 (ことば) が離れてしまい、ついには、辞 (ことば) を弄ぶ罠に陥ってしまうと、かれは非難しました。しかし、かれは、ことば を軽視しているのではない。かれは、「世ハ言ヲ載セテ以テ遷ル」 と喝破して、古代の 「聖人」 の道を理解するためには、「六経」 を正確に読むしかないと説いています。かれの人生を跡追ってみれば、最初に、(今風にいえば、) 言語学者として研鑽して、つぎに、漢詩を作る詩人として、さらに、晩年の 10年ほどは、独自の学説を打ち立てた哲学者として歩んでいるそうです。徂徠の云う 「格物致知」 とは、「物が、おのずから、来る」 という意味です。

 「儒学者」 という ことば を聞けば、「融通のきかない、道徳を説く学者」 という像を われわれは憶測してしまうのですが、かれの生活態度は、「風雅文采」 を実践していたそうです。徂徠は、「答問書」 のなかで、宋学を非難して、以下のように綴っています。(参考 1)

     宋学者風の経学に こり固まった人は、是非邪正を分けることに熱心で、何事も
    隅から隅まで はっきりしていないと気がすまず、ついには高慢ちきになり怒りっ
    ぽくなるものです。そして、風雅で、のんびりとした、はなやかなことが嫌いになり、
    人柄が悪くなっていく例は世間に多いことです。(略) 世間で俗人が、学問をした
    人は人柄が悪いといいますが、これは あながち嘘ではありません。

 六経 (中国の 6つの経書、すなわち、易経・書経・詩経・春秋・礼 (らい)・楽経の総称) のなかには、詩経があって、徂徠は、古文辞学として、詩経を大切にして、みずから、漢詩を原文 (中国語) で作ることが巧みだった。六経は中国語で記されています。しかも、その中国語は古代の中国語です。その中国語が、日本では、「和訓 (読み下し文)」 に翻訳されてしまう。和訓は、平安時代に、吉備真備が最初に作ったと伝えられていますが、徂徠の ことば を借りれば、「釣針に魚がかかって ひげ が生えたような、また蛙に尻尾が生えたような返り点や送り仮名がつき、ぞろぞろと星のように並んで むらむらと蜉蝣 (うんか) が飛んで来たような状態になり、そこで はじめて意味がわかるようになる。これでは、吉備氏の詩書礼楽であり、中国の詩書礼楽ではない。」(参考 2)

 古代の 「聖人」 の考えかたは、六経として遺されている。古代の 「聖人」 の考えかたを理解するためには、六経を正確に読み取るしかない。六経を正確に理解するために、徂徠は中国語を学びました。かれは、みずからの都合の良い読みかたに陥らないようにして、原文に迫りました。かれの やりかた を鑑みれば、かれは、学びかたとして、当然の道を歩んだと言っていいでしょう。300年前であろうが、現代であろうが、学びかたは、それしかないでしょうね。

 さて、コッド 関係 モデル の原文を読んだことのないひとが、コッド 関係 モデル を非難すれば--たぶん、ほかのひとが コッド 関係 モデル について記した書物を読んで、コッド 関係 モデル を理解したつもりでいるのでしょうが--、的外れでしょう。コッド 氏の論文を理解するためには、数学 (集合論 [ セット概念 ] と第一階述語) を学習していなければならない。私は、文系の道を歩んできたので、改めて、数学を学習するために、苦労しました。そんな苦労は、いまとなって、どうでもいいのですが、私は、「(completeness が証明されている) コッド 関係 モデル を超えよう」 などという身のほど知らずなことを考えたことは、いちどもない。コッド 関係 モデル に対して、意味論を強く適用したら、TM (T字形 ER手法) が生まれたというだけのことです。いまとなっては、TM を整えることに精一杯で、私は コッド 関係 モデル から ずいぶんと離れてしまいました。それでも、コッド 関係 モデル の基本的な考えかたを忘れてはいないし、コッド 関係 モデル を敬っています。なぜなら、それは、TM の故郷だから。

 


(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    355 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。

(参考 2) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    88 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

 
 (2007年 4月 1日)

 

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