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You fail to give a finishing stroke.

 

 荻生徂徠は、「答問書」 のなかで、以下のように述べています。(参考)

    その時代時代の役に立つ程度の人物は必ずあるものです。「国に人なし」 など
   という言葉があるのを、読み違っていっらっしゃるのではありますまいか。それは
   「朝廷に人才がない」 ということです。朝廷に人才がないのは、用いないがため
   です。

    自分の方から注文を出すわけですから、その注文に合うような人物は、古今東西
   は愚か、将来どこまでいっても見つかるはずはありません。

 これらの言は、現代にあてがってみれば、組織のなかでの人材登用について陥りやすい罠を 明らかにしていますね。

 私が仕事の契約をするときに、多々、質問される点は、「どういう人物を DA (Data Analyst、T字形 ER図を作成するひと) に任命すれば良いですか」 という点です。正直に言って--そして、いままで、私は、質問したひとに対して正直に言ってきましたが--、「わからない」 というのが私の応えです。「わからない」 という応えでは、DA を任命できないので、私は、DA の適性として、「熱意のあるひと、会社から任命されたから、しかたないまま仕事をやるというようなひとは避けて下さい」 と言っています。でも、この点は、なにも、DA 職に限らず、すべての仕事について言えることでしょうね。

 熱意があっても思い込みの烈しいひとは、DA の適性はないと言って良いでしょう。逆説的に言えば、「TM が最高」 と思い込むひとは DA に向かないでしょうね。というのは、TM は、あくまで、「構造」 を作るための技術にすぎないのであって、DA は、いったん作図された 「構造」 を logical に検証する思考力がなければならないから。簡単に言い切ってしまえば、DA は、或る事態の 「可能態」 を列挙して検証する思考力をもっていなければならない。

 たとえば、p と q という 2つの事態 (概念) があったとして、これらが resource であれば、集合として以下の検討をしなければならないでしょう。

 (1) p と q は、べつべつの外延である。
 (2) p と q は、いちぶ、まじわる。
 (3) p は q をふくんで、さらに拡がっている。
 (3) q は p をふくんで、さらに拡がっている。
 (4) p と q は、同じ外延である。

 そして、もし、p と q が event であれば、p ⇒ q を前提にして、逆 (q ⇒ p)・裏 (¬ p ⇒ ¬ q)・対偶 (¬ q ⇒ ¬ p) を検討しなければならない。

 また、(resource であれ、event であれ、) 2項関係のなかで、真理値表を使って、事物・事象の生成状態 {(T, T) (T, F) (F, T) (F, F)} を検証しなければならない [ ちなみに、文中で、T は成立を示し、F は不成立を示します ]。

 上述した数学的技術は、「基本中の基本」 の技術ですが、「構造」 の妥当性を調べるためには、かならず、使うはずです--逆に言えば、そういう技術を使わなければ、「構造」 の妥当性を請け負えないでしょう。

 もし、ユーザ が そういう技術を使えないなら、あるいは、そういう技術を使うのがめんどくさいなら、われわれ コンサルタント を雇えば良いでしょうね。ユーザ が作成した TMD を推敲する際、私は、以上の技術を使っています。そういう技術を使って、ユーザ が作成した TMD を推敲するのが私の仕事です。そういう技術を使った検証は、「構造」 そのもの-の検証なのだから、TM の技術とは べつの論点です。そういう技術を使った検証では、「構造」 のなかに潜んでいる issues を感知して ソリューション を考えたり、「構造」 が環境に対して適応力があるかどうかを考えたりするので、モデル の技術ではなくて、コンサルテーション の技術です。(「反 コンピュータ的断章」 2006年 1月 1日 参照。

 「反 コンピュータ 的断章」 のなかで、かつて (2004年 3月29日)、TM に対する以下の批評を私は反論しました。

      T字形 ER手法は、「属人性」を排除するといっていながら、最後のほうでは、
      T字形 ER手法を使うには、SDI 社の コンサルテーション をうけてねってこと
      ですかね。

 こういう馬鹿げた (無責任な) 批評を ウェッブ 上に書き込むひとは、「構造」 を作るということを まじめに考えたことがあるのかしら。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    313 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。

 
 (2007年 6月 1日)

 

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