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A pebble and a diamond are aike to a baby.

 

 荻生徂徠は、「『訳文筌蹄 (せんてい)』 の題言」 の中で、以下のように述べています。(参考)

     まして道芸・事物・言語は、いずれも上古にならい、次第に潤色し、次第に破壊
    し、分かれたり合ったり、栄えたり衰えたり、継承と変革をくりかえして行く。
    どうしても古代を先にし、今を後にしなければならないのであって、そうすれば
    源流が残らず明らかとなり、誤りを犯さずにすむのである。ところが世間の学者は、
    後世の しごく読みやすい書物だけを選んで読みたがる。(略)こうして その弊害
    は、まったく先に論じたとおり、和訓のついている書物だけを読み、和訓のない
    書物に出会うと、畏縮して読もうとしなくなる。

 徂徠の言は、学習法を見事に撃ち抜いていますね。
 ミーハー 本を 一年間に百冊読んでも 「読書子」 に値しないでしょう。

 データ 設計の モデル (modeling) に興味を示すひとが、さまざまな モデル に関する セミナー を聴き歩いて、まるで、モデル の蒐集家になっている様を、私は、ときどき、眼にします。こういう態度は、practitioner に値しないし、研究家にも値しないでしょうね。

 モデル を学習するなら、まず、どの モデル でも良いから、ひとつを選んで学習して、次に、その モデル が出てきた源流を探れば良いでしょう。そうふうに学習すれば、その学習のなかで、データ 設計法の歴史がみえてきて、歴史のなかで、どういう点が論点になってきたかが明らかになるでしょう。その論点は、モデル の理論に関する論点もあれば、モデル を実地に適用して出てきた論点もあるでしょうね。そして、そういう論点を掴んだら、それらの論点に関する研究書を読めば良いでしょう。こういうふうに 「芋蔓式に」 学習を進めるしか知識を拡げる てだて はないでしょうね。

 そういうふうに学習を進めれば、多くの人たちが継承して改良してきた 「モデル の論点」 が明らかになって、そこで、改めて、さまざまな モデル を観てみれば良いでしょう。そうすれば、モデル が贋物か本物かを判断できるでしょう。

 モデル の理論 (歴史のなかで継承され改良されてきた論点) を知らないひとが、さまざまな モデル を蒐集しても、モデル の善し悪しなどわかる訳がない。

 

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    254 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

 
 (2007年 6月16日)

 

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