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In for a penny, in for a pound.

 

 TM (T字形 ER手法) に対して、いくつかの非難が出ているそうですが、それらの非難は、どうも、以下の 4点に集約できそうです。

 (1) どうして、「数学 (あるいは、ロジック)」 に こだわるのか。
 (2) どうして、「『F-真』 とやら」 に こだわるのか。
 (3) どうして、「null」 に こだわるのか。
 (4) どうして、「コード 体系」 に こだわるのか。

 これらの非難が 「的外れ」 であることは、モデル (あるいは、「構文論と意味論」) を学習したひとであれば、直ぐに わかるでしょうね。

 まず、(1) ですが、TM は、数学 (「ロジック」 といったほうが正確かも) を絶対視した 「数理 モデル」 ではないことを注意しておきます。ただ、私が ロジック を重視している理由は、TM で構成した モデル を コンピュータ のなかに実装するからには、モデル が 「無矛盾性・完全性」 を実現した 「構成」 でなければならないというだけのことです。システム・エンジニア であれば、「無矛盾性・完全性」 を配慮していない 「構成」 を コンピュータ のなかに実装する訳にはいかないでしょうね。それらを実現しない 「構成」 を実装して、「この 『構成』 が正しいかどうか わからないけれど、まあ、アルゴリズム を実施してみて、アベンド したら ごめんね」 というのは、無責任でしょう。「A は、A である」 と最初に言っておきながら、途中で、「A は、非 A である」 とすれば、矛盾になります。したがって、規則のなかに、「A ∧ ¬A」 があってはいけないというのが 「無矛盾性」 です。そして、無矛盾な体系のなかで構成された定理が 「真」 であるか、あるいは、「偽」 であるか を判断できるというのが 「完全性」 です。みずからが作った アルゴリズム (計算手続き) を 「モデル」 と言うのであれば、「無矛盾性・完全性」 を守ろうとしないほうが私には奇怪に思えます。

 ただし、「無矛盾性・完全性」 を実現するために、私は、そうとうに苦しみました。というのは、TM は、さきほど述べたように、「数理 モデル」 ではないので、数学的な 「無矛盾性・完全性」 を (数式で、) 証明できないから。というのは、TM は、そもそも、(「完全性」 が証明されている) コッド 関係 モデル に対して、「意味論」 を強く適用して、モデル の生成規則を作ったから。

 TM では、システム・エンジニア の視点に依存した 「解釈」 を排除して、(事業過程・管理過程に関与している人たちのあいだで、「意味」 が伝達されている 「情報 (帳票、画面、レポート など)」 を domain にして、) 最初に、「『合意』 して認知されている管理対象 (entity)」 を集合として作ります。そのために、事業過程・管理過程に関与している人たちのあいだで使われている 「コード 体系」 を管理対象の判断手段として使った、ということです。

 「関係の論理 aRb」 では、a と b が 「個体」 を示し、R が 「関係」 を示します。

 TM は、個体 (a と b) を entity (数学的には、「項」 と言っても良いでしょう) として考えて、entity を以下の 2つに分割しました。

 (1) 関係の非対称性を示す集合 (event)
 (2) 関係の対称性を示す集合 (resource)

 そして、以下の 4つの 「組み合わせ」 ごとに、関係文法 (構成規則) を考えました。

 (1) 「event」 どうし
 (2) 「resource」 どうし
 (3) 「resource」 と 「event」 のあいだ
 (4) 「再帰」

 a と b が 「event」 であれば、TM の 「event」 の定義によって、R を 2項述語 「a は b よりも小さい (<)[ あるいは、a は、b に対して先立って生じる ]」 と考えて、時系列のなかで、並べます。「直積集合」 として考えても良いでしょう。あるいは、「対の公理」 を前提にして、「順序対」 を構成すると考えても良いでしょう { { a, a }, { a, b } }。すなわち、「event」 は、半順序集合 (あるいは、全順序集合) [ (E, ≦) ] です。

 a と b が 「resource」 のとき、R を 2項述語 「a と b は、ひとつの事態 (あるいは、意味) を作る」 と考えます。そして、R は (「対の公理」 { a, b } を前提にして、) a と b を メンバー とする集合 X が存在することを仮定して 「対照表」 を構成します。ただし、文法上構成された 「対照表」 (L-真) は、かならず、(「置換公理」 f (x) を前提にして、) 「集合的性質」 として、事実的事態と対比して、「事態」 としての 「F-真」 を験証します。なお、「対照表」 のなかのメンバー (a と b) は、基本的に、「非順序対」 です。

 さて、R の 「述語」 として争点になるのが、「event」 と 「resource」 のあいだの関係です。

 数学では、aRb を R (a, b) とみなして、関係主義の観点に立って、直積の部分集合として 関係 R を考えて、関数 R のなかで 関数 f [ f (x, y) ] を組みますが、TM は、aRb の 「基本形 (原形)」 として、実体主義の観点に立って、個体 (a と b) を 「resource」 として考え 関係 R を 「対照表 (事態)」 として考えています。そして、「対照表」 に対して、認知番号 (個体指示子) を付与すれば、「entity (event)」 とみなします。すなわち、「event」 と 「対照表」 のあいだには、「対照表は、event をふくんで、さらに拡がっている」 という関係が存在します。とすれば、上述したように、「対照表」 は、(「対の公理」 を前提にして、2つの集合 (a と b) を メンバー とする集合 X が存在する構成にしていますので、もし、「対照表」 が認知番号 (個体指示子) を付与されて 「event」 として認知されても、「event」 のなかに、「resource」 が関与 (侵入) している構成になるという次第です。

 一見すれば、TM の関係文法は、関数 f (x, y) に似た構成になっているように思われるのですが--「存在とは、変項になりえること」 という 「解釈」 に似ているのですが--、TM では、f (x, y) が、「構成表 (対照表)」 として現れることもあれば、単独の 「entity (event)」 として現れることもあります。そして、「対照表」 と 「event」 は、基本的に、性質が同じであって、相違点は、「認知番号 (個体指示子) が付与されているかどうか」 という点のみです。言い換えれば、「形相 (認知)」 が違っていても 「性質」 は同じである、ということです。「性質」 が同じであれば、数学上、同値類として扱わなければならないでしょう。しかし、TM 上、それらを同値類として扱っていない。というのは、TM は、性質・関係を二次的に考えて、実体主義の観点に立って、個体を一次的に考え、しかも、「個体の認知」 に関して、「合意された」 認知--つまり、認知番号を付与されているかどうか、という点--を重視したから。この点が、数学的な ソリューション にならなかった次第です。

 ただ、TM を モデル として考えるなら、数学的な厳正さはないにしても、「無矛盾性 (『A ∧ ¬A』 が存在しないこと)」 と 「完全性 (A か、あるいは、¬A のいずれであるかを証明できること)」 を、なんとかして実現したいと私は考えていました。そのために、私が採用した やりかた は、「経験論的な言語 L (物言語)」 として、以下の体系を守って、指示規則と生成規則を示すことでした。

 (1) 語彙 (論理定項と 「観察述語」)
 (2) 文の生成規則

 数学上、「文の生成規則」 は、述語論理の公理系 (PM など) が使われますが、私は、上述した 「TM の関係文法」 を使いました。ただし、その文法では、「構成」 のなかで矛盾をふくまないように、「entity」 の定義には注意を払って、「entity」 を 「『event』 か、あるいは、それ以外 (補集合)」 すなわち、排中律 「A ∨ ¬A」 を使いました。言い換えれば、「event かつ resource」 や 「event でもないし resource でもない」 という集合が生じないようにしました。そして、数学的な 「完全性」 の代わりとして--数学的な 「完全性」 とは、意味論的な 「真」 が構文論的な証明可能性と同値であること--、私が 「完全性」 を守るために導入した やりかた は、以下の やりかた でした。

 (1) 「合意された集合 (entity)」 を作る。
 (2) 「合意された集合」 に対して、関係文法を適用して、「L-真」 を構成する。
 (3) 「L-真」 に対して、指示規則を適用して、「F-真」 を験証する。

 すなわち、TM は、数学的な 「完全性」 を証明できないので、数学的 「完全性」 の考えかた--意味論的な恒真は、構文論的な証明可能性と同値である、ということ--とは逆に、まず、かならず、すべての 「構成」 が 「規則」 から導かれていることを実現して、その 「構成」 に対して、意味論の観点から、「F-真」 を問う、という手続きにしました。TM の 「無矛盾性・完全性」 を守るには、その やりかた しかなかった。

 以上に述べたように、TM は、数学に こだわっている訳ではないけれど、「無矛盾性・完全性」 を実現するために、「合意 --> 『L-真』 --> 『F-真』」 という手続きにした次第です。だから、「F-真」 に こだわっています。

 しかし、TM は、「生成規則と指示規則」 のみでは、「完全性」 を実現していないことが わかりました。というのは、生成規則で構成された 「対照表」 が、もし、その性質として、「日付」 の実 データ をもたないとき、指示規則上、「event」 とも 「resource」 とも 「解釈」 できるからです。そのために、TM は、「完全性」 を守るために、「対照表」 の 「解釈」 として、以下の制約を置いています。

    『対照表』 のなかに、実 データ として 「日付」 が帰属するときか、
    あるいは、文脈のなかで、明らかに、「日付」 を 「仮想したい」 とき、
    そして、そのときにかぎり、『対照表』 を 『event』 として 『解釈』
    する。

 もし、TM の 「完全性」 を実現するのであれば、上述したように、「対照表」 に対して 「『解釈』 の制約規則」 を、「event」 の定義に対応する保存的拡大として導入しなければならないのですが、その規則は、指示規則でも生成規則でもない、、、。この 「『解釈』 の制約規則」 を、どのようにして TM のなかで扱えば良いのかという点を、いまも、苦慮しています。しかも、(「仮想できる」 という言いかたにしないで、) 「仮想したい」 という言いかたを使った理由は、「意味」 の正当化条件として、きわめて難しい争点をふくんでいるからです。この点に関しては、本 ホームページ 376 ページ を参照して下さい。

 TM が、「null」 を排除する理由は、「null」 が、意味論的に、多義 (unknown と undefined) だから、ということです。すなわち、意味論的に、「F-真」 を問えないからです。もし、「null」 を、意味論的に正しく扱うなら、4値 ロジック を使わなければならないでしょう。でも、私は、上述した 「構成」 の手続きのなかで、「L-真」 と 「F-真」 を験証しやすい 2値 ロジック を使います。もし、「null」 を認めて、(4値 ロジック の代わりに) 3値 ロジック を使えば、そして、「null」 に対して、演算のなかで、論理的否定を作ったら、構文論上、「unexpected」 な アウトプット が出るでしょう。

 さて、以上に述べてきたように、モデル を 構文論・意味論の観点から検討すれば、本 エッセー の冒頭で記載した非難は、いずれも、「的外れ」 であることが ご理解いただけるでしょう。

 
 (2007年10月16日)

 

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