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It is not, nor it cannot come to good. (William Shakespeare, Hamlet 1-2)

 

 荻生徂徠は、儒学者だったので、「道」 を追究することを、生涯の目的としていました。「道」 は、具体的に、「礼楽刑政」 の制度として実現されてきて、「道」 を作った人物──先王たち (唐堯・虞舜・兎王・湯王・文王・武王・周公の七人)──が 「聖人」 である、と徂徠は考えています。そして、中国の後世の儒学者たち (たとえば、子思・孟子など) が、「聖人とは どういう人物のことをいうのか」 に関して述べている説を、徂徠は以下のように非難しています。(参考 1)

    ただ子思・孟子は自説を守ることにのみ気を取られ、時代の弊害を正すことにのみ
    気がはやり、抑揚の激しい表現をするうちに、古代の正しい意味が そこから伝わら
    なくなる結果を生じた。嘆かわしいことである。

 子思・孟子が、「聖人」 を どのように定義したか という点は、本 エッセー では争点にしないで、徂徠の言が私に対して迫ってきた理由を考えてみます。

 モデル 作りを仕事にしていると、うっかりすれば、みずからの説の 「独自性」 を打ち出そうという焦燥に駆られることがあります。しかしながら、一過性の対応法でないかぎり──言い換えれば、長いあいだ、使われ続ける モデル ならば──、モデル は継承され、そして、次第に改良されてきた歴史をもっているので、新たな パラダイム を作ることのできるような天才でないかぎり、「独自の」 モデル を作ることなどできないでしょうね。私のような ふつうの エンジニア であれば、モデル に関する学問のなかで研究されてきた成果を実地に適用できるように工夫するのが精一杯ですし、寧ろ、そういう やりかた が正統な・正当な しかた だと思います。かつて、「佐藤正美からの一言 メッセージ」 の 「devil's advocate」 のなかで、私は、「独創的」 という言いかたが 「『我流』 に対する社交辞令」 であるというふうに皮肉りました。「我流」 は、「正則」 でないがゆえに目立ちますが、いずれ、息切れするでしょうね。そして、「我流」 は 「我流」 であるがゆえに、多くの人たちのあいだで 「共有できない」 でしょう。したがって、「我流」 は、所詮、一過性の対応法にすぎない。

 私は、TM (T字形 ER手法) を、つねに、数学・論理学・哲学の観点から検討してきました。そして、今後も、その検討を続けるでしょう。なぜなら、TM を正統な・正当な やりかた にしたいから。

 正統な・正統な やりかた は、概して、地味で目立たない。膨大な情報が発信される社会では、人目を引かない。そのために、モデル の存在を知ってもらおうと 「宣伝」 すれば、うっかりすると、徂徠の言うように、「時代の弊害を正すことにのみ気がはやり、抑揚の激しい表現をするうちに、古代の正しい意味が そこから伝わらなくなる」 という罠に陥ります。私は、じぶんの セミナー が、ときどき、そういうふうな罠に陥ったなと感じるときがあります。そういうときには、強烈な嫌悪感・虚無感が私を襲います。そして、セミナー のあとで、しばらくのあいだ、私は不眠症に陥ってしまいます。そういう状態は、私の精神・肉体を嘖 (さいな) むので、そういう状態を避けるには、セミナー の回数を減らすしかないでしょうね──ただ、セミナー を、一切、やらないというのでは、TM の使いかたを伝えることができないので、一年のうちに、いくどか、セミナー 講師をやりますが、もし、実現できるなら、人前に出て しゃべるのは、半年に 1回くらいの頻度に抑えたいというのが正直な感想です。

 亀井勝一郎 氏は、以下の アフォリズム を遺しています。(参考 2)

    文明の罪について あらためて考えるべき時が来た。自然を犯しすぎたのだ。
    それによって人間は人間を犯しすぎたのだ。罰として我々は 「過剰」 という
    地獄へ堕ちた。言わなくてもいいことを言い、為 (し) なくてもいいことを
    為 (し) て、永久に多忙である。

 私は、若い頃に 「文学青年」 だったので、そもそも、厭世家の素地があったのですが、エンジニア になって、ますます、厭世家になってきました、、、。

 


(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    106 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

(参考 2) 「思想の花びら」、亀井勝一郎、大和人生文庫、大和書房、45 ページ。

 
 (2007年12月16日)

 

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