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One is too few, three too many.

 

 荻生徂徠は、当時、博学で知られていましたが、かれほどの逸材でも、時代の制約・束縛を免れることはできないでしょうね。かれは、著作 「政談」 のなかで、政治に関して、さまざまな卓見を述べていますが、それでも、それらの意見のおおかたは、「封建制度」 の しくみ を前提にしていました──しかし、かれの意見のなかには、女性を尊重する意見もあって、当時としては、「常識にとらわれない」 卓見も多い。

 さて、荻生徂徠の著作 「政談」 を読んでいたら、以下の文を目にしました。
 (参考)

    今はそれらの仕事がことごとく城下町の町人の手に渡って、彼らの利潤
    になるので、軍事のための必要という本来の精神が忘れられて、非常に
    粗雑になっている。このごろ幕府の鉄砲組の同心に支給される鉄砲の
    火薬は、役に立たないので、同心らが自分の銭を出して、町人に頼んで
    作り直してもらい、それで練習の鉄砲を打っているという話である。こう
    した火薬の製法などにも、武家が不案内になっているのはけしからぬこと
    である。鉄砲を打つといって自慢する人に、火薬の原料の焔硝はどの国
    から産出するかと尋ねてみても、知っている者はなく、土から焔硝を採取
    することさえも知らぬ人が多い。太平の時代であればこそ、買い求めても
    間に合うであろうけれども、製法に通暁した者もしだいにいなくなるとすれ
    ば、それで世の中がすむものではあるまい。

 この文を当時の時代文脈 「封建制度」 のなかで読めば、「武家」 が 「本来の役割を果たす実力を喪った」 ことを指弾しているのでしょうね。徂徠は、当然ながら、「武家」 の存在を前提にしています。

 もし、現代人の目から観れば、「武家」 が 「raison d'etre」 を喪ってしまった、という 「解釈」 もできるでしょうね。実際、後年、歴史が示した事実は、「武家」 が、次第に、政治の舞台で 「役人」 になって、「官僚化」 していきました。

 さて、「武家」 を 「システム・エンジニア」 に読み替えたら──とくに、ユーザ 企業の コンピュータ 部門に勤務している システム・エンジニア として読み替えたら──、興味深い想像が色々と走るでしょう。
 ユーザ 企業の システム・エンジニア が 「本来の役割を果たす実力を喪った」 ことを嘆くか、あるいは、そういう エンジニア が、プロジェクト 管理のほうに役割を変えて、「外部の ソフトウェアハウス を管理する」 新しい clerical work を得たとするか、、、いずれにしても、みずからが帰属する企業の システム に関して、「設計図 (しくみ)」 を知らないというのでは、あるいは、システム 化の対象になっている事業過程・管理過程の 「構成」 を知らないというのでは、「システム・エンジニア 失格」 (disqualified) であることは間違いないでしょう。

 「失格」 という ことば に対して、どうして、英語の disqualified を対比したかと言えば、「失格」 には、「disqualified」 のほかに、「eliminated (from)」 という語義もあるから。

 もし、システム・エンジニア や プログラマ が、ちゃんとした 「技術」 を使っていれば、システム・エンジニア の人数や プログラマ の人数は、いまほどの人数はいらないでしょうね。とすれば、剰員は、いずれ、「eliminated」 されるでしょうね。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    429 ページ。引用した訳文は、尾藤正英 氏の訳文である。

 
 (2008年 3月23日)

 

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