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Speech is the picture of the mind.

 

 小林秀雄 氏は、かれの評論文 「平家物語」 のなかで、以下の文を綴って
います。(参考)

    平家のあの冒頭の今様風の哀調が、多くの人々を誤らせた。平家の作者の
    思想なり人生観なりが、其処にあると信じ込んだが為である。一応、それは
    そうに違いないけれども、何も平家の思想はかくかくのものと子細らしく取り
    上げてみるほど、平家の作者は優れた思想家ではないという処が肝腎な
    ので、(略) 平家の真正な原本を求める学者の努力は結構だが、俗本を
    駆逐し得たとする自負など詰まらぬ事である。流布本には所謂原本なるもの
    にあるよりも美しい叙述が屡々現れる。平家の哀調、惑わしい言葉だ。この
    シンフォニイ は短調で書かれていると言った方がいいのである。一種の哀調
    は、この作の叙事詩としての驚くべき純粋さから来るのであって、仏教思想
    という様なものから来るのではない。平家の作者達の厭人も厭世もない詩魂
    から見れば、当時の無情の思想の如きは、時代の果敢無い意匠に過ぎぬ

 
 私は、この文を読んでいて、システム・エンジニア の仕事に通じる 「詩魂」 を感じました。ちなみに、小林秀雄氏は、「意匠」 という ことば を好んで使っていたようです。「意匠」 は、「工夫」 のことです。ときに、かれは、「意匠」 を 「装飾」 の意味で──「工夫」 を装った 「装飾」 の意味で──否定的に使っていることもあります。

 
(参考) 「思想との対話 6 小林秀雄 古典と伝統について」、講談社、74ページ。

 
 (2008年 4月 8日)

 

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