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Hang sorrow, cast away care.

 

 小林秀雄 氏は、かれの評論文 「平家物語」 のなかで、以下の文を綴って
います。(参考)

    平家のなかの合戦の文章は皆いいが、宇治川先陣は、好きな文の一つだ。
    盛衰記でもあの辺りは優れた処だが、とても平家の簡潔な底光がしている
    様な美しさには及ばぬ。同じ題材を扱い、こうも違うものかと思う。読ん
    でいると、子規の歌が、決して佐々木四郎の気持ちという様な曖昧なもの
    詠じたのではない事がよく解る。荒武者と駻馬との躍り上る様な動きを
    はっきりと見て、それをそのままはっきりした音楽にしているのである。
    成る程、佐々木四郎は、先がけの勲功立てずば生きてあらじ、と頼朝の前
    で誓うのであるが、その調子には少しも悲壮なものはない。勿論感傷的な
    ものもない。傍若無人の無邪気さがあり、気持ちのよい無頓着さがある。
    人々は、「あっぱれ荒涼な申しやうかな」、と言うのである。頼朝が四郎
    に生食をやるのも気紛れに過ぎない。無造作にやって了う。尤もらしい
    理由なぞいろいろ書いている盛衰記に比べると格段である。

 
 私は、この文のなかの 「傍若無人の無邪気さがあり、気持ちのよい無頓着さがある」 という件 (くだり) を──小林秀雄 氏の記述力を──非常に気に入っています。小林秀雄 氏の逞しい性格を垣間見たような思いがします。

 
(参考) 「思想との対話 6 小林秀雄 古典と伝統について」、講談社、pp 71-72。

 
 (2008年 4月16日)

 

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