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An ass is but an ass, though laden with gold.

 

 デイヴィドソン 氏は、かれの論文 「そう言うことについて」 のなかで、間接話法を以下の 2つの文から構成されているとして、that を指示詞的な扱いをしています。たとえば、かれが論文のなかで示した例文 Galileo said that the earth moves は、以下の 2つの文で構成され、that は (文ではなくて) 発話を指示する直示的な (demonstrative) 単称名辞である というのが かれの説です。

    The earth moves.
    Galileo said that.

 彼は、勿論、この説を論文のなかで丁寧に説明しているのですが、世上で疎通する簡単な まとめ としては、上述した まとめ が (はなはだ粗い まとめ ですが、) われわれの直感にとって納得しやすいでしょう。かれの丁寧な説明を知りたい ひとは、かれの論文を読んでください。

 私は、この論文の最初の数 ページ を読んで、デイヴィドソン 氏が、この論文のあとで、上述したような 「常識的な」 説を示すことを直ぐに推測できました──そういう推測ができたのは、私の思考力が鋭いのではなくて、かれの説 (「意味」 の代わりに 「真」 概念を使うという説 [ タルスキー 氏の 「真理条件」 を使うという説 ]) を知っていれば、だれでも推測できるほど明らかな道筋 (logical thread) だから。

 そして、かれは、同じことをおこなっている ほかの文──かれの論文のなかで示されている ほかの文として、「これは冗談だ」 「これは命令だ」 「彼は そう命じた」 「さえ これを聞け」──を示していて、こうした表現は 「行為遂行文 (performative)」 と呼ばれてよいかもしれない、と述べています──というのは、それらの表現は、話し手の側での行為遂行への先導に使用されるから、という理由を かれは述べています。
 そして、かれは、以下の例を論文のなかで示しています。

    Jones asserted that Entebbe is equatorial.
    (ジョーンズ は エンテベ が赤道付近にあると そう主張した

 この文を上述した間接話法と同じように考えるなら、以下のような意味になることを かれは示しています。

    An utterance of Jones in the assertive mode had the content of
    this utterance of mine. Entebbe is equatorial.

 かれ曰く、「ことばの叙法 (mood) は発話の様式を保証しえない。しかし、もし私の行為遂行文の発話が真ならば、私は私の第二の発話の内容をもつなにかを、主張様式で言っている──すなわち、私は エンテベ が赤道付近にある、と そう主張しているのである (略) かくして行為遂行文は、自己達成的な傾向をもつ。恐らく、ある哲学者たちをして誤って行為遂行文ないし その発話が真でも偽でもない、と考えるように導いたのは、行為遂行文の この特徴であろう」 と。

 そして、かれは、以下のように説を進めています。

    われわれは ひとつの文中で代入を行うが、しかし真理において変動するの
    は別の文 (の発話) なのである。'Galileo said that' という発話と、その後に
    続く任意の発話とは、意味論的には独立である以上、形式のみに基づいて、
    第二の [ 文の発話の真理値の ] 変動から第一の [ 文の発話 ] の真理への
    なんらかの特定の影響を予測する理由は存在しない。他方、もし仮に第二の
    発話が なんらかの仕方で異なっていたとすれば、第一の発話は真なる真理
    値をもっていたかもしれない。というのは、その場合 [ 指示詞 ] 'that' の指示
    対象が変動していたであろうからである。
    (文中の青文字は、翻訳文で強調的に点が付与されていた ことば です)

 この文 (かれの文) を読んだとき、私は、まさしく、タルスキー 氏が関数に関して意味論的文脈のなかで述べた点 [ 代入関数を持つ整合的な理論では、真理関数は存在しない ] を思い起こしました (拙著 「論理 データベース 論考」 134 ページ を参照されたい)。

 
 (2008年 6月 8日)

 

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