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That's the way as it is.

 

 ここ数年のあいだ、コンピュータ 業界のなかで──正確には、「事業過程・管理過程」 を対象にして、コンピュータ・システム を作る領域において──、文法を示さない、そして、文が 「真」 とも 「偽」 とも判断できないような 「構成」 を描くことが、「モデル」 だと云われてきたことに対して、私は、そうとうに不信感・嫌気を抱いています。

 「モデル」 は、有限個の語彙と有限な しかた で述べられる一組の諸規則であって、そして、それらを習得すれば、(無限とも思われる) 事態──ここでは、それぞれの事業のなかで伝達されている 「情報」、すなわち、「任意な語彙を前提にした任意な文の構成」 と云っても良いでしょう──に対して、形式的構成を与える確実な手段があるのだ、という事実が無視されてきたようですね。その確実な手段は、数学・言語哲学が整えてきました。ところが、そういう学習を軽視 (あるいは、無視) すれば、いつまでたっても、システム・エンジニア の個人的憶測に頼った設計に陥ったままでしょう。

 事業過程・管理過程で使われている個々の単語は、「それらが現れる文脈のなかで意味をもつ」 ということを超えた 「解釈」 が存在する訳ではないでしょう。もし、そういう 「解釈」 (個々の単語は文脈を超えて、他の意味をもつこと) が存在するのならば、事業過程・管理過程で 「『意味』 を伝達する」 ことができないでしょう──あるいは、少なくとも、コミュニケーション ができない状態に陥ってしまうでしょうね。

 したがって、個々の単語が文脈のなかで意味をもつのであれば、われわれ システム・エンジニア が 「モデル」 を考えるときには、個々の単語を文として生成する文法を考えるのが当然でしょう。文法が与えられたら、たとえば、「's' が s を指示する」 という形式の文に対して、's' が 「情報」 のなかで使われている単語で構成された文に置き換えられて、s が 文で指示されている事実的事態であれば良いという単純な──したがって、システム・エンジニア の個人的憶測に頼らない──モデル になります。すなわち、「文 『s』 は、時刻 t において、事態 s に対応している」 という誰でもが理解できる規約を用意すれば良い、ということです。その規約文を数学では、「規約 T」 を云います──「規約 T」 を 「真理条件」 とも云い、タルスキー 氏が提示した 「真理」 の定義です。

 「経済的実態を、そのまま、コンピュータ のなかに記述 (構成) する」 という意味は、「規約 T」 が原則になる構成を作るということの言い換えです。ところが、「経済的実態を、そのまま、コンピュータ のなかに記述 (構成) する」 ということを いい加減に扱って、ひとり (あるいは、複数・多数) の システム・エンジニア が憶測で作った 「クワス」 図を、あたかも、科学的な手法を使って作ったかのように思いこんでしまっている現象が、ここ数年、コンピュータ 業界で観られました──私は、正しい 「クラス」 図に対して、間違った クラス 図のことを皮肉って 「クワス」 図というふうに非難してきました (ちなみに、「クワス」 図という言いかたは、クリプキ 氏がかれの著作のなかで使っていたのを借用しています)。

 英語には、「That's the way as it is.」 という表現があります。この表現の訳は、「それが事実です」 ということです。報道文などで、「私の個人的な憶測を入れていないですよ」 ということを伝えるときに使われています。「規約 T」 は、単純に言い切ってしまえば、「That's the way as it is」 のことと同じ意味でしょう。この意識 (That's the way as it is.) が、システム・エンジニア には薄いようですね (苦笑)。もっとも、最近の日本では、報道文も、この意識を喪ってしまって、「ニュース を作っている」 ことが多いと私は感じているのですが、、、。

 
 (2008年 8月 1日)

 

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