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He sits not sure that sits too high.

 

 三島由紀夫氏は、かれの エッセー 「裸体と衣裳」 のなかで以下の文を綴っています。

     三月二十三日 (日)
     一日家いひきこもつて仕事をする。長篇はやつと緒についた。
    仕事の捗るときほどの幸福感、その仕事の出来上つたときほどの
    幸福感が この世にあらうとは思へない。多くの人は、理性でたしか
    められない状態を幸福と名附けてゐる。しかし芸術家の幸福感は、
    理性で百度もたしかめられた幸福の意識であつて、もし幸福が夢
    だとするなら、それは覚めながら見る夢といふより、最も覚めて
    ゐる状態にしか現れない夢とでもいふべきものだ。
     悲惨や苦悩を紙上に定着するときの作家の幸福感は、必然的に、
    作家の世間並みの誠実さを裏切る。(略) 私は誠実さうな顔をした
    作家が、自分の読者を相手にして、誠実に人生的教訓を垂れたり
    してゐるのを見ると、彼は自分の制作の幸福感を偽善的に隠して
    ゐるのか、それとも彼はさういふ幸福感を味はつたことのない不幸
    な作家なのか、と疑はずにはゐられない。彼はおそらくよく心得て
    ゐるのであらう。世間で実際に人生の苦悩を味はつてゐる人たちに
    とつては、このやうな幸福感は正に敵なのだといふことを。作家は
    これを工房の秘密としてとどめておけばよいのだといふことを。

 さすがに、第一級の小説家は、鋭い観察眼で的確な文を綴りますね。
 さて、かれが記した 「芸術家の幸福感」 は、実は、「モデル」 を作る システム・エンジニア にも適用できる知覚です──否、たぶん、およそ なにがしかの 「作品」 を作る仕事に携わっている人たちが感じる知覚ではないかしら。

 もし、モデル を作っている システム・エンジニア が、「そんな幸福感など味わったことがない」 と言うのであれば、三島由紀夫氏が皮肉をぶつけているように、「偽善的」 か 「不幸」 な ひとでしょうね。トップダウン 的思考と称して 荒っぽい概念図を描いて 「主観的な適合感」 で満足していれば、つゆぞ、こういう幸福感を味わうことはできないでしょう。「『生きた事業』 の雑駁さを紙上に定着するときの システム・エンジニア の幸福感は、必然的に、エンジニア の世間並みの誠実さと反対の結末になる」 と言ってもいいでしょうね。

 いっぽう、システム・エンジニア が基調講演の講師や セミナー 講師をやるときに、聴衆が講師に期待しているのは 「世間並みの誠実さ」 であって、世間で実際に事業の雑駁さを味わっている人たちにとっては、このような幸福感は正に敵であって、システム・エンジニア は、これを内に秘めておけばよい、というのも実態でしょうね。事業の雑駁さに疲れた人たちは、「単純な ソリューション」 をもとめて──ただし、そんな泡影は、一切、存在しないのですが──セミナーを聴いて、みずからの仕事を包括している単純な概念に出会えば、まるで、その概念が みずからの仕事を単純にしてくれるように錯覚するのでしょうね。そして、そういう概念をしゃべる講師は ウケ る。ただ、そういう講師は悲劇だと思う──というのは、システム・エンジニア として守るべき実質がないんだから。

 さて、私は、システム・エンジニア であって、かつ、セミナー 講師を務めることもあるので、システム・エンジニア の 「幸福感」 と 「世間並みの誠実さ」 のあいだで、過去 ズッと揺らいできました──そして、セミナー 講師を務めた日の夜は、疲労困憊しているにもかかわらず神経が高ぶって不眠症に陥るのが常です。私の セミナー は ウケ がいい──過去数え切れないほどの セミナー をやってきて、アンケート の評価では、5点満点中 平均点 4.5 を マーク してきましたが、ウケ がいいということは、私が みずからの 「幸福感」 に反した行為をしているということであって、私自身は、そうそう幸福ではない。

 では、私は セミナー を否定するのかと問われれば、そうではない。寧ろ、セミナー 講師として プロフェッショナル な矜持さえ抱いています。セミナー は、セミナー としての本分がある──私は、なにも、「世間並みの誠実さ」 を示すために セミナー 講師を務めている訳ではない。ただ、セミナー を聴いている人たちの セミナー に対する期待が 「世間並みの誠実さ」 をもとめているので、私の セミナー 観と ズレ ていて、かれらの期待に反して振る舞う私は疲れて不眠に陥るという次第です。というのは、「世間並みの誠実さ」 あるいは 「『願はしい真実』 の影」 をもとめている大衆 (多数派) の下す評価が必ずしも正しいとは私には思われないのだが、、、。

 
 (2009年 3月 8日)

 

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