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Love the baby for her that bore it.

 

 三島由紀夫氏は、かれの エッセー 「古今集と新古今集」 のなかで以下の文を綴っています。

     私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落として、
    今は、言葉だけしか信じられない境界へ来たやうな心地がしてゐる。
    言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ
    政治的に過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。

 原文では、「そぎ落として」 の 「そぎ」 ということばに対して 「、」 が打たれて強調されて (あるいは、注意を促されて) あります──本 エッセー で引用するときに、「、」 を下線 「_」 に変更しました。

 さて、この文を私が引用した理由は、私が TM (T字形 ER手法の改良版) を作ってきた道のりにおいて、三島氏が述べている思いは私の思いを代弁してくれているからです。私は、TM の前身であるT字形 ER手法を作ったときに、数学基礎論を正式に学習していたのではなかった──数学基礎論の技術を断片的に習得していたにすぎなかった。私が数学基礎論を正式に学習しはじめた時点は、「黒本 (T字形 ER データベース設計技法)」 (1998年出版) を出版した直後でした。そして、その 2年後に、数学基礎論を学習した結実として 「論考 (論理 データベース 論考)」 を脱稿しています。わずか 2年間のあいだで 数学基礎論を独学で習得できる訳ではないのであって、「論考」 の 「文献編」 には多量の参考文献を記載していますが──しかも、それらは、私が読んだ参考文献の いちぶ であって、すべてを記載してはいないのですが──、あれほどの文献を わずか 2年で読破できる訳がないのであって、「黒本」 を脱稿する以前から、私は数学基礎論の書物を読んでいました (たぶん、1995年くらいに、数学基礎論の書物を本気で読み始めたと記憶しています)。「黒本」 を執筆する以前から数学基礎論の書物を多数読んできて、数学基礎論の技術を体系的に まとめようとした時点が、「黒本」 を脱稿した直後だった、ということです。「黒本」 は、そもそも、1996年に脱稿するはずだったのが、なかなか、筆が進まず、2年おくれて 1998年の出版になった次第です。

 そして、「黒本」 を出版した 2年後に、「黒本」 を否定する 「論考」 を執筆したという 「焦りにも近い、性急な見直し」 は、今振り返っても尋常じゃないですね。「黒本」 は、上述したように 1996年に脱稿するはずだったので、もし、1996年を 「黒本」 の体系ができたときだとすれば、「論考」 を出版するまでのあいだの 4年間に、私は、以下の ふたつの考えかたのあいだで揺れていました。

 (1) 実地に使ってきたT字形 ER手法を体系的に まとめる。
 (2) T字形 ER手法が モデル として無矛盾性・完全性を実現していることを
    証明する。

 「黒本」 は、(1) のために執筆した著作です。そして、いっぽうで、(2) をやらなければならないという強い思いがあったのですが──そのために、「黒本」 を執筆する以前から数学基礎論の書物を読んでいたのですが──、私の力不足で (2) が、なかなか、実現できなかった。しかも、「論考」 は、(2) を実現した著作ではなくて、数学基礎論の技術を棚卸して、数学基礎論の技術とT字形 ER手法のなかで使っている テクニック との違いを確認したにとどまった。そして、「論考」 を脱稿したときに、「意味論」 が重大な テーマ であることを はっきりと意識しました。ただ、このときには、いまだ、「意味論」 を 「数学的な」 視点でのみ意識していて、「言語哲学的な」 視点を意識していなかった。「黒本」 から 「論考」 に至る わずか 2年のあいだで、数学基礎論を体系的に学習して、数学基礎論の重立った技術を確認するという作業は、(数学が嫌いで文系を選んだ) 私には とても辛い作業でした。「論考」 を脱稿したあとで、しばらくのあいだ、私は burn-out 状態に陥って、なにもする気になれなかった。

 T字形 ER手法は、そもそも、コッド 関係 モデル を基底にしていて、「並び」 と 「null」 を コッド 関係 モデル とは違う やりかた で扱うために作られた データ 設計法でした。そして、「論考」 を脱稿したときに、私は、T字形 ER手法が 「数学の」 観点から判断しても齟齬はないと納得したのですが、いっぽうで、T字形 ER手法に対する 「意味論」 の検討が弱いことも気づいていました。「論考」 を脱稿したあとで、私が取り組んだ学習は、「意味論」 の学習でした。そして、私は、カルナップ 氏の意味論を丁寧に検討しました。「意味論」 をT字形 ER手法のなかに体系的に導入した著作が 「赤本 (データベース 設計論)」 (2005年出版) でした。数学基礎論を前提にしつつ、意味論を検討して、T字形 ER手法を見直したときに、「黒本」 で記述したT字形 ER手法の理論的な拙さが──三島由紀夫氏が、かれの エッセー のなかで、かれの性質として綴った文を借用すれば、「直感的に、断定的に、手続きなしに主張するという始末に負えない非論理的な」 説明法が──感じられて、「赤本」 では、T字形 ER手法を ロジック の観点に立って見直して、T字形 ER手法という呼称を捨てて、TM という呼称に変更しました。そして、出版社に頼んで、「黒本」 を絶版にしました。ただ、「赤本」 で意味論を検討したつもりだったのですが、私は、「赤本」 に対して、なにかしら、不満 (欠落感) を抱いていました。

 以上に述べた作業では、私は、とにもかくにも、数学基礎論を できるかぎり網羅的に学習して、数学的知識を増やすことしか考えていなかった。それらの数学的知識からいろんなものを一つ一つ 「そぎ落として」、意味論を 「ことば」 の観点で把握するようになったのは、「赤本」 を脱稿したあとでした。「赤本」 を脱稿したあとで、私は、「数学的な」 意味論 (典型的には、ゲーデル 氏の考えかた) と 「言語哲学的な」 意味論 (典型的には、ウィトゲンシュタイン 氏の考えかた) とのあいだの ズレ (乖離) を埋めることを強く意識していました。「赤本」 を脱稿したあとで感じた欠落感というのが、この点でした。その ズレ を埋める着想を与えてくれた説が デイヴィドソン 氏の説でした。そして、私は、TM において、モデルの正当化条件・真理条件として、「合意 → L-真 → F-真」 という体系を整えました。数学基礎論からいろんなものを一つ一つ そぎ落として、ことば に的をしぼった著作が、今年 2月に出版した 「いざない (モデル への いざない)」 でした。三島氏の ことば を借りれば、「今は、言葉だけしか信じられない境界へ来たやうな心地がしてゐる」。そして、さらに、かれの ことば を流用すれば、ことば しか信じられなくなった私が、世間の目からは逆に、いよいよ、数学に傾斜したように見られているのは面白い皮肉です

 
 (2009年 4月16日)

 

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