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The fox changes his skin, but not his habits.

 

 本居宣長は、「玉勝間」 の 「道をおこなふさだ」 のなかで、以下の文を綴っています。(参考) なお、説明の便宜上、段落に対して番号を付与しておきます。

    [ 1 ]
    道を実践することは、君主という地位にある人の任務である。
    学者のすべきことではない。学問をする者は、道を考究する
    のが任務なのである。わたくしはこのように考えをきめている
    ので、自分自身で道を実行しようとはしないで、道を考究する
    ことに努力している。(略)

 この文のあとで、以下の文が綴られています。

    [ 2 ]
    現在の行政が道に合致しないからといって、下の者が、改革
    しようとするのは、個人的な行動であって、かえって道の
    本旨ではない。下の者はただ、善くもあれ悪くもあれ、上の
    ご意向に従っているものであって、古代の道を考究し得た
    からといって、個人的にきめて実行すべきものではないので
    ある。

  宣長の謂う 「道」 は 「古学 (やまとたましいの追究)」 ですが、ここでは、前回同様、なんらかの範囲のなかで 「正しい (真)」 とされること というふうに翻訳しておきましょう。

 さて、[ 1 ] を私の仕事に対して適用してみます。私の仕事は、モデル の定則を作ることです。したがって、その仕事は、研究者 (researcher) として臨むことになります。ただし、researcher と謂ったように、モデル に関して最新の争点を考究するのではなくて、すでに定説とされている論説を学習して、それらを使って モデル の定則を作るので、研究者というよりも学習者といったほうが正確でしょうね。もし、仕事上、研究者 (theoretician) の仕事らしき面があるとすれば、個々の技術──定説に準拠した・個々の技術──を いかにして無矛盾な体系として構成するか、という点でしょう。この仕事は、そうとうな年月を費やす仕事です──私の場合で云えば、モデル の定則を整えるまで、数学・哲学の学習をふくめて 15年に及んでいますし、今も、更なる検討を続けています。

 いっぽうで、私は システム・エンジニア を職としているので、モデル の定則を実地に使うことも仕事にしています。その仕事は、実務家 (practitioner) として臨むことになります。そして、モデル の定則を実地に使ってみて、現実的事態を 「完全に」 形式化できない事態が生じれば、モデル の定則を直さなければならない。

 宣長の謂う 「道を実践することは、(略) 学者のすべきことではない」 という点は、もし、学者が本来の意味で研究者──すなわち、最新の争点を研究して、争点を定式化し新たな ソリューション を考える学者──であれば、私は、学者に 「実務的な工夫を考える」 ことまで請求しない。というのは、最新の争点を研究して、争点を定式化して新たな ソリューション を考え出すことだけで そうとうな年月を費やすことになるはずだから。その 理論を実証する責務は実務家のほうに託されている、と私は思っています。したがって、実務家は、或る程度、理論に通じていなければならない。「実務家は理論を知らなくてもいい」 などというのは戯言 (たわごと) にすぎないでしょうね。数学の概念・技術を知らないで、コンピュータ・サイエンス を──そういう学科が成立するとして──わかるはずはないでしょう。ロジック を学習しないで抽象化などと称して大雑把な 「クラス」 図を描いて 「逃げて」 いるから、訳のわからない 「クワス」 図ばかりが粗製濫造されるのでしょう。クラス は、ロジック で演算される、という当たり前のことを知っていれば、ロジック を学習するはずです。

 [ 2 ] については、当時の社会文脈では、「上」 だ 「下」 だという概念は無視できなかったのでしょうね。[ 2 ] を コンピュータ・サイエンス の文脈に翻訳すれば、「上」 は 「学問 (あるいは、ロジック)」 とみなしていいでしょう。すなわち、「形式化」 の技術は、「個人的にきめて実行すべきものではない」 ということ。ウィトゲンシュタイン 氏のような天才が使う AND/OR/NOT は、私のような凡人でも同じ意味で AND/OR/NOT です──ただし、それらで構成される定理の 「解釈」 は、流派によって、相違するでしょうね [ たとえば、数学において、直観主義が 「二重否定」 を認めないように ]。モデル を構成する場合、どのような 「前提」 を置くかは、数学者の自由ですが、ロジック を破る自由さは、どんな数学者にも認められていない、という当たり前のことを知っていれば、システム・エンジニア は ロジック を無視できないはずです。

 こういう 「当たり前」 のことは、大学を卒業した時点で身につけているはずなのですが、現実には、そうでないようです。でも、仕事に就いたときに──ここでは、システム・エンジニア という仕事を前提にしていますが──、仕事において ロジック は a must であるとわかるはずなので、そう気づいたならば、ロジック を学習すべきでしょう。そう気づかないとか、そう気づいても学習しないというのは、職業人としての意識を疑われても文句を言えないでしょう。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。

 
 (2010年 2月 1日)

 

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