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Don't carry your head too high: the door is low.

 

 本居宣長は、「玉勝間」 の 「あらたにいひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事」 のなかで、以下の文を綴っています。(参考)

    たいてい世間一般とちがった新説を提唱する時には、善悪を
    問わず、まず一応は世間の学者から憎まれ、非難されるもの
    である。ひとつには、自分がもとから従って来た説と、たいへ
    んに違っているのを聞くと、その説の良い悪いを味い考える
    までのこともせず、はじめから全然認めず、採用しない者も
    あるし、あるいは、心中では、「なるほどそうだ」 と思う点も
    多くあるのだが、それでもやはり身近な人の説に従うことが
    ねたましくて、新説が良いとも悪いとも言わないで、ただ承認
    しないような顔をして黙過するという者もある。またねたむ
    気持ちのさらに進んだ者では、心中はよいと考えながら、
    その中の欠点を無理やりさがし出して、全体を否定しようと
    身構える者もある。たいてい旧説に対しては、十中七つ八つ
    までは悪いのをも、その悪いところをおおい隠して、わずか
    二つ三つ採るべき点のあるのを持ちあげて、全力をつくして
    援護し採用しようとするのに、新説に対しては、十中八九は
    よくても、一つ二つの欠点を言い立てて、八つ九つの長所を
    も抹殺して、できるかぎり自分も採用せず、他人にも採用さ
    せまいとする。これはたいていの学者の通例である。

    (略) 旧説を、どうかしらと考えて、「こうではあるまいか」 と
    までは考えつくけれども、自分自身で判断する力が無くて、
    疑わしいままに、そのままにして来た人などには、新しいすぐ
    れた説を聞くと、「これでこそよい」 と、たいへんに喜んで、
    即座に従うというようなのもあることである。いったいに新説
    は、どんなによい説でも、すぐには採用する人がまれなもの
    だが、よい説は年月がかかっても、しぜんに結局は世人の
    従うものであって、(略)

 上の文を読んで、私は、宣長の 「人間観察力」 の鋭さに感嘆しました。そして、「身につまされる」 思いを感じました。

 宣長の謂う 「世間の学者」 というのが どういう外延 (集合) になるのか──宣長は、どういう人たちを 「学者」 と謂っていたのか──を私は想像できないのですが、ここでは、学問のみに限らず、広い意味で 「その説が関与する分野で仕事をしている専門家」 というふうに翻訳しておきましょう。

 さて、さきほど、「身につまされる」 と綴ったように、私は、20数年前、日本に RDB を導入・普及したとき、まさに、宣長が記していることを身をもって体験しました。当時、私は、30歳過ぎだったので、RDB を説明する セミナー 講師を務めたときに、セミナー・アンケート のなかで 「若造が知ったかぶりをして」 という感情的非難まで浴びました。私の上司以外は、皆敵というような状態のなかで仕事を進めなければならなかったので、私のほうも、世間に対して挑戦的な言いかたで発表していたので、「しゃべりかたが生意気だ」 という非難もありましたが、今振り返ってみれば、私のしゃべりかたに対する非難は相応だったと思います。同じことをしゃべっても、それを謂うひとによって、聴く人たちの態度はちがってくるのは当然だし、たとえ、ロジック で正しいことを訴えたとしても、聴いた人たちが──頭のなかで妥当だと理解したとしても──承知するとは限らない [「ソクラテス の弁明」 を読めば、それがわかるでしょう ]。

 そして、TM を作ってきた途上でも、私は、RDB を日本に導入したときと同じ非難を浴びてきました。RDB を導入したときは、それでも、コッド 関係 モデル という 「権威」 (完備性を証明された理論) の後ろ盾があったので、どのような非難を浴びても、「じぶんは間違ったことを言っていない」 という確信を抱いていたのですが、TM は私が作った モデル なので──ただし、コッド 関係 モデル を意味論に補強した モデル だという信念を抱いていたのですが──、「異端児」 などという批評をされてきて、さすがに ウンザリ してきました。

 TM の前身である T字形 ER手法は、コッド 関係 モデル を実地に使うときに感じていた意味論の 「弱さ」 を補強するために、個体 (「項」 と謂っていいでしょう) に対して 「event と resource」 という概念を導入して、さらに、RDB の パフォーマンス を補うために 「INDEX-only」 を使いました。当時、私は、完備性が証明されている コッド 関係 モデル を前提にして、個体 (entity、「項」) を その性質に依って 2種類に分けただけだったので、理論的な証明は簡単にできると思い込んで、技術体系を整えることのみに専念して、理論的な証明をしなかった──というのは、T字形 ER手法の証明は、コッド 関係 モデル の単純拡大で大丈夫だと思っていたので。

 しかし、事は そう簡単ではなかった、、、。拙著 「T字形 ER データベース 設計技法」 (1998年) で T字形 ER手法を初めてまとまった形で公にしたのですが、(理論的な検証をしていなかったので、) 理論上、いくつかの間違いを犯していました。そして、コッド 関係 モデル を意味論的に補強したと思い込んでいたのですが、意味論的な補強も実は不充分だった。そのために、「T字形 ER データベース 設計技法」 を出版した後で、拙著 「モデル への いざない」 (2009年) に至るまでの約 10年のあいだ、私は、理論的検証を請けあわねばならなかった。今にして思えば、「T字形 ER データベース 設計技法」 は、ひとつの 「着想」 を生のまま提示した起点にすぎなかった。

 T字形 ER 手法を理論的に検証してきた 10年間は、今振り返ってみて、とても辛い年月でした──私生活を犠牲にしての作業でした。しかし、モデル を──当時の状態で云えば、「モデル らしき」 物を──いったん公にしたかぎりにおいて、その無矛盾性・完全性の証明は、当然ながら、作った本人の責務です。理論的な証明が進むにつれて、T字形 ER手法という呼称を TM に変更しました。TM は、今では、以下の単純な理論体系として整えられています。

   { 個体指定子、全順序、半順序、切断、多値、L-真、F-真 }.

 以上の概念は、今振り返ってみれば、モデル上、極々当然な概念ですが、それらに まとめるまで 10数年の年月を費やしてきました。TM に対して、どのような反論を提示されても、今なら、TM の無矛盾性・完全性を証明できます。(注意)

 そして、TM を理論的に証明している途上で私自身が愕いた点は、T字形 ER手法として整えられた技術が TM に再体系化されたときに ほとんど変わらなかったという点です。言い換えれば、実 データ を対象にして作った技術は、理論的な証明のなかで ほとんど修正されなかった、ということです。実地の技術が先行して理論の証明が後になったのですが、技術が ほとんど修正されなかったというのは、単なる偶然にすぎないのでしょうが、賛嘆に値するでしょう──きっと、技術を作っていた時点で、実 データ を形式化するためには、どういう技術を使わなければならないのかを そうとうに考え抜いていたのでしょうね。

 私 (TM) が 「異端児」 と呼ばれていることを私は怪訝に思っています──私から謂えば、TM は極めて正統な・正当な理論を基底にしているので。「TM は、数学に傾斜した」 とか 「TM は、マニアック になった」 という評を聞きますが、モデル が形式的構成であるかぎりにおいて、無矛盾性・完全性を証明するのは当然のことではないでしょうか。勿論、TM は技術として整えられているので、実地に使用するときには、数学的証明を知らなくてもいい。数学的証明は、あくまで、モデル を作った本人の 「良心の」 問題なのだから。そして、現実的事態を形式化する技術であるかぎり、モデル は、つねに、実地の適用を通して改訂される運命にあります。モデル は現実的事態を形式化する技術であって、現実的事態に対して爪痕すら付けることはできないのであって、現実的事態が つねに先行する (前提となる) という当たり前のことを外さなければ宜しい。そして、モデル では、無矛盾性・完全性が正当化条件になるという当たり前のことを外さなければ宜しい。そして、モデル が普及するかどうかは、べつの争点です──無論、普及することは大事な配慮点ですが、私が、その任に適していないのは認めます [ 56歳にもなれば、非難されるときに、さすがに、「若造」 と云われなくなりましたが、「しゃべりかたが気に入らない」 というのは、今でも、相応かもしれない (笑)]。

 
(注意) ただし、「event-対-resource」 の関係文法は、数学的 ソリューション ではなくて、哲学的 ソリューション になっています。この点は、実体主義と関係主義のあいだで起こる 「解釈」 の争点です。今後、さらに、理論的に追究しなければならない点です。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。

 
 (2010年 2月 8日)

 

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