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We have gone too far to retreat.

 

 本居宣長は、「玉勝間」 の 「わがをしへ子にいましめおくやう」 のなかで、以下の文を綴っています。(参考)

    わたくしに師事して学問する諸君も、わたくしの後に、また
    よりよい考えが出て来た場合には、けっしてわたくしの説に
    拘泥 (こうでい) しないようにしなさい。わたくしの説の悪い
    理由を述べて、よい考えを広めなさい。すべてわたくしが
    人を教えるのは、「道」 を明らかにしようがためであるから、
    ともかくも、道を明らかにすることが、わたくしを生かすという
    ことなのである。「道」 を真剣に考えないで、ただむやみに
    わたくしを尊ぶというのは、わたくしの本意ではないのだから
    ね。

 宣長の謂う 「道」 は 「古学 (やまとたましいの追究)」 ですが、ここでは、なんらかの範囲のなかで 「正しい (真)」 とされること というふうに翻訳しておきましょう──あるいは、私の仕事の文脈において、「モデル」 [ 正統な・正当な モデル 作成 ] というふうに翻訳しておきましょう。

 さて、宣長の謂っていることは、学問を修める態度として極々当然のことですが、頭でわかっていても感情では なかなか承服できないのではないでしょうか。わが身を振り返って、私が宣長の謂うことを自然体に振る舞えるようになった年齢は 45歳を超えた年延 (としばえ)──「論考」(2000年) を出版したあと──になってからのことでした。それ以前では、T字形 ER手法を反論されたとき、私は ムッ と (怫然と) することが多かった。勿論、「正当な」 反論であるならば──すなわち、T字形 ER手法の前提・定理を理解してうえでの反論であれば──私は、ムッ としても直ぐに落ち着いて、反論を丁寧に検討して、もし、反論が妥当であれば、私はT字形 ER手法の間違いを訂正することに吝 (やぶさ) かではない。しかし、反論の ほとんどすべては、T字形 ER手法の前提・定理を無視した 「決め打ち (決め付け)」 でした──たとえば、「コード 至上主義」 とか 「null に拘りすぎる」 とか 「再帰は親子関係でなければならない」 とか 「HDR-DTL (one-header-many-details) を扱えないなら、実務で使えない」 などなど。そういう的外れの反論 (非難) に対して、私は、ただ ウンザリ するのみであって、本格的に反論 (rebut) する気にもなれないし、「T字形 ER手法 (あるいは、その改良版である TM) を反論 (非難) するのであれば、その前提・定理を正確に学習してください」 としか謂いようがない。

 いっぽうで、私は、TM を闇雲に信奉されることも嫌っています。TM の ファン になってもらうのは TM を作った本人として うれしいかぎりですが、ただ一時的な熱狂で ファン になったというのでは、興奮が醒めたら いずれ TM から離れるでしょう。TM は、ロジック で構成された一つの公理系です──恋愛の対象ではない。

 TM の前身である T字形 ER手法 (の原型) が生まれたのは、たぶん、1990年代前半だったでしょう──拙著 「RAD による データベース 構築技法〜生産性を 3倍にする〜」 (1993年出版) に その原型が出ています。そのときから今に至るまで、私は、ひたすら、TM を整えることに専念してきました。その作業は、TM の無矛盾性・完全性を実現するための作業でした──15年以上に及ぶ作業では、モデル の説を学ぶために数学 (離散数学、数学基礎論)・哲学 (言語哲学)を学習した年数もふくまれています。私が目的としているのは、TM を整えるいっぽうで、モデル を明らかにすることです。さきほど、私は、45歳を過ぎた頃から、じぶんの説に拘泥しないようになった──他の人たちの意見を、もし、それらが学理において正当であれば、聞くことができるようになった──と綴りましたが、そうできるようになったのは、数学・哲学を学習してきて、形式化では ロジック がすべてであることを承知したからです。TM において私の考えなどは どうでもいい──TM の ロジック が妥当であることを私は希 (ねが) っているのみです。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。

 
 (2010年 2月23日)

 

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