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Fortunes knockes at our doors by turns.

 

 本居宣長は、「玉勝間」 のなかで、「金銀ほしからぬかほする事」 という以下の文を綴っています。(参考)

     金をほしくないというのは、例の シナ 風の偽りであるよ。
    学問をする人などは、よい書物をひたすら手に入れたいと思う
    くせに、金はほしくないような顔をすることで、その偽りは
    はっきりしているのだ。現代はすべての物が、金さえ出せば
    思いどおりに手に入れられるのだから、よい書物がほしい
    なら、どうして金がほしくないはずがあろうか。そうではある
    が、あたりかまわず利をむさぼる世間の風習にくらべるなら、
    偽りは偽りだが、金をほしくないような顔をするといった類
    のことは、まだずっとましなことであろう。

 上の引用文について、シナ に対する非難を除けば、宣長の言に対して、私 (佐藤正美) は同感します。尤 (もっと) も、上の引用文で述べられていることは、取り立てて、聞き入るような斬新な視点はないし、こういう話題 (金銭をほしからぬ顔をすること) を出せば、「紋切り型」 の会話になって、「いや、『恒産なくして恒心なし』 と云われるように、金銭が生活を作る」 とか 「いや、金銭なんかに較べて、『愛』 が第一だ。金持ちであっても、愛する (そして、愛される) ひとがいない人生なんて惨めだよ」 というような same old talk に終わるのが 精々の始末でしょうね 。したがって、「紋切り型」 の会話を避けたいのであれば、こういう話題は出さないほうがいい (笑)。

 では、どうして、私は、この話題を出したのかと謂えば、「(良い書物を買うために、) 金銭が欲しくても、貧乏な じぶん (私) を哀れんで (愛おしく思って?)」 慰めるためです (苦笑)。「あたりかまわず利をむさぼる世間の風習にくらべるなら、偽りは偽りだが、金をほしくないような顔をするといった類のことは、まだ ずっとましなことであろう」 と。

 私が独立開業した年齢は、37歳のときです──今から 20年前のときです。その頃は、私がやっている仕事 [ データベース 設計 ] などは、データベース を購入すれば 「無償で」 供与される・「付録」 のような仕事でした。当時、独立開業して、こういう仕事をやっていたのは、(定年退職なさった) 椿 氏 [ データ 総研社 ] と私くらいだった、と記憶しています。私は、30歳すぎの頃から 30歳なかばまで、日本に いまだ使われていなかった リレーショナル・データベース を導入・普及する仕事 (DBA) をしていて、そのあとで、データ 設計の仕事 (DA) に転職しました──独立開業した頃には、ほとんど、データ 設計の仕事をしていました。当時、そういう仕事が単独で事業になるかどうか わからない時代だったので、私は、独立開業しても、1年くらいで廃業することになるかもしれないと覚悟していました。しかし、そのあと、社会が変わった──そういう仕事が単独で事業になる社会に変わった。

 私は、ここで 「思い出」 を語ろうとは一切思っていないのであって、私が独立開業したときに、「利潤を追求する」 ために独立開業したかのように多くの人たちが思っていたので、「儲けるために独立したのではない」 と私が説明しても、怪訝な顔をされることが多かった。それまでは、私は 「流行作家」 のように、あちこちで もてはやされて、収入も多く 「金持ち」 でした。ただ、私は、独立開業して 3年目くらいのときに、TM を作る路線に舵をとりました──つまり、新しい データ 設計法を作る進路を選びました。新しい データ 設計法を作るためには、当然ながら、数学・哲学の学習・研究に集中しなければならなかった。それらの学習・研究に集中するためには、仕事 (収入源) を減らさなければならなかった。そして、私は、見事に──覚悟していたとおりに──貧乏になりました。

 新しい データ 設計法 (モデル) を作るという意欲があったとしても、それが実現可能かどうかは確実に推測できることじゃない──それは、じぶんの人生を賭けた一六勝負です。「目的地に到着できるだろう (実現できるだろう)」 という期待 (希望) を抱いて旅立つしかない。もし、それが実現できなければ、私の人生において、壮年期は徒労に終わっただろうし、もし、それが実現できても、私は、実現した技術で儲けようとも思っていなかった。「じぶんとの戦い」 という意識のみが強かった──じぶんが人生を いかに生きるか、という問いに対して生きかたを手探りするしかなかった

 私は、金銭 (収入) において、「妥協」 を一切したくなかった。家族を養うという 「現実的な生活」 が迫る第一のことは、まず、「妥協」 することでしょうね。自我の強い私は、じぶんの思いを犠牲にしてまで屈服することをゆるさない。そして、その屈辱を感じないで屈服するには、「妥協」 することが一番の やりかた です。というのは、「妥協」 とは、じぶんの思いが完全に実現されないけれど、いくぶんかは実現されて、それがために一応の言い訳が立つという状態だから。

 それでも、学習・研究を続けるためには、生活してゆくだけの収入を稼がなければならなかった──言い換えれば、「じぶんの思考を形 (技術) にする」 学習・研究を続けるために、私は働いた [ 生活費を稼いだ ] ということ。したがって、金銭については、ほとんど無頓着でした。その成れの果てが、(技術を実現したけれど、) 極貧状態になった次第です。「金銭をほしくないような顔をする」 ように装う余裕などはなくて、実際に、貧乏だった。ただ、私は、「じぶんとの戦い」 を貫いたがために貧乏になったけれど、やらなければならない テーマ が次々に出てくるので退屈だと思ったことは一度もなかった──尤 (もっと) も、私が我が儘を通して貧乏になったので、家族には申し訳ないと思っています。私が ほとんど働かないで、書物ばかりを読んでいるときに、妻は小言一つ謂わないで パート (part-time job) として働きに出ました。妻の その姿を観て、申し訳ないと思わないほど 私は阿房じゃない。妻に申し訳ないと思いつつも、私は、我が儘を貫いてきました。そういう意味では、TM は、「じぶんとの戦い」 の戦果 (じぶんの 「身証」) であると謂ってもいいでしょうね。

 尤も、「技術」 は、それが いかなる事情で生まれても、その事情を考慮外にして使うことができるという性質を持っています。「技術」 は、実際に役に立つかどうか という以外に評価点はいらないでしょうね。だから、私には、TM に対して、センチメンタル な気持ちなど更々ない。私が TM に対して唯一望んでいることは、実際の使用で役に立つことのみです。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。

 
 (2010年 7月16日)

 

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