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He that chastises one amends many.

 

 本居宣長は、「玉くしげ」 のなかで、以下の文を綴っています。(参考)

     (略) すべて何事にても、心より帰服してする事にあらざれば、
     末とほりがたく、永くは行はれぬものなり。

 以上に引用した文は、「贅沢と質素」 について宣長が述べた意見から いちぶ を抜き書きしました。今回の引用文は短いので、原文を記載しました。原文は簡明な文なので、現代語訳にしなくても意味を把握できると思うのですが、一応、現代語訳を以下に示しておきます。

     (略) すべて何事でも、心から従いついてすることでなければ、
     終始一貫するはずはなく、永続きはしないものである。

 以上の引用文を読めば、「当然のことを言っている (目新しいことを言っている訳じゃない、この程度の意見なら私にも言い得る)」 と読み手は感じて、一読したら、ほとんど忘れ去ってしまうような文です。しかし、われわれは、その当然なことを当然として感じて、果たして、実感しているか、と問えば、はなはだ怪しいのではないでしょうか。

 「TM を世間に もっと普及してほしい」 という小言 (助言 ?)──時には、非難──を言われることが多いのですが、私も 当然 普及したい。そういう小言 (あるいは、非難) を言う人たちに較べて、私のほうが その思い [ 普及したいという思い ] は強い──というのは、私の人生を賭して作った技術なので。そういう小言 (あるいは、非難) を言う人たちは、私が TM を普及するために今まで がんばって来なかったとでも思っているのかしら、、、。TM を普及するために、私は私なりに がんばって来ました。

 普及活動をすれば普及できると思っているとしたら世間知らずでしょう。「マスコミ (業界誌) に もっと出てほしい」 とも言われることが多いのですが、そう言う人たちは、はたして、マスコミ の 「すごさ と怖さ」 を知っているのかしら、、、私は、30歳の頃から 27年のあいだ、マスコミ とつきあって来ました──私は、たまに、マスコミ に顔を出しています。「マスコミ (業界誌) に もっと出てほしい」 と言っている人たちは、マスコミ に数回ほど登場したら認知度が高まるとでも思っているのかしら、、、。もし、そう思っているとしたら、マスコミ に対して産 (うぶ) でしょう。事は逆で、認知度が高いから マスコミ に出ることができるのです。私は、「マスコミ 嫌い」 として通っていますが、27年のあいだに、業界誌の ジャーナリスト たち (記者、編集者、寄稿者) の中で数人ほどと相識の仲で、マスコミ と上手に (competitive and cooperative) つきあって来ました──あるいは、マスコミ を非難することも一つの つきあい かたです (笑)。

 3年ほど華々しく世間で ウケ て、その後に消え去った人たちを私は幾人か観て来ました。3年ほど華々しく ウケ たことが 「普及」 したという状態にはならないでしょう。われわれ エンジニア にとって、最大の目的は、われわれの技術が ユーザ に使い続けてもらうという点にあるはずです。そのためには、長いあいだ、業界のなかで立っていなければならない。そして、立ち続けるように、私は奮起してきたつもりです。

 じぶんの技術を持たないでも、IT コンサルタント として、コンピュータ 業界のなかで現れては消えてゆく 「様々なる意匠」 の時流を乗り継いで、業界を永いあいだ泳ぎ渡ることもできますが──私は、実際、当初の数年間は、そういうふうに渡世していたのですが──、そういう やりかた では私が 「売れっ子」 になっても 「TM の普及」 にはならないでしょう。私は、25年のあいだ、一年に 50日くらいの頻度で──平均すれば、1ヶ月に 4日くらいの頻度で──、セミナー 講師をやってきて、じぶんの説 (技術) を世に問うてきたつもりです。たとえ、じぶんが講師をやりたいと思っても 25年のあいだ講師をやれる訳じゃない──講師として 10年以上も立ち続けるには、世間に訴える説を つねに持っていて、マーケット が下す厳しい (気ままな ?) 評価に耐えて、しかも、高い評価点を獲得し続けなければ、講師依頼が継続して来ない。

 TM は商品ですが、消費財じゃない──物品を購入して耐用年数に及んで使用して、物品の寿命が尽きたら新しく買い換えるという消費財じゃない。TM の技術は、無形な (intangible) 商品です。したがって、有形な (tangible) 商品の セールス 法とは異 (ちが) う セールス 法を考えなければならない。有形に較べて無形は セールス しにくい──TM を ツール 化した TER-MINE [ ITS 社が作ってくれました ] の恩恵で、無形な TM が有形な技術として感じることができるようになった点を私は感謝しています。

 TM は、離散数学の技術──集合、写像、関係、帰納法、ブール 代数、有向 グラフ など──と言語哲学の考えかたを使った正統な・正当な技術である、と私は自負しています [ その証明は、拙著 「モデル への いざない」 を参照してください ]。そして、それがために──モデル であるが故に──、TM は、「世間で使われている (と想像される)」 画法 (DFD や ERD) を真っ向から否定して来ました。そして、TM は、「抽象 データ 型」 モデル なので、「世間 [ オブジェクト 指向が使いにくいと云われている事務系の システム 設計 ] で使われている (と想像される)」 構造化手法を真っ向から否定して来ました。「世間で使われている (と想像される)」 画法・技術を真っ向から否定している TM が世間で歓迎される訳がない──「TM は歓迎されない」 ということを私は当初から覚悟していました。TM は、離散数学の技術を簡単に使えるようにした 「抽象 データ 型」 モデル です──言い換えれば、エンジニアリング として至極当然なこと (明らかなこと) しか語っていない モデル です。しかし、新しい キーワード (「様々なる意匠」) が次から次へと現れる コンピュータ 業界において、簡単なこと (基本的なこと、原論) を語るのが とても難しい という土壌を、「TM を普及してほしい」 と謂っている人たちは推測できているかしら。

 私の書物が難しいという愚痴を時々耳にします。私は他人 (ひと) が把握できないような説を述べたことは一度もないつもりです──離散数学では基礎知識とされていることを述べているにすぎない。そして、離散数学を知らないひとにとって、離散数学を使った説明が難しいのは当然でしょう。パソコン の使いかたを知らないひとにとって パソコン が難しいのと同じことです。確かに、TM は DFD や ER に較べて数段難しい。でも、コッド 関係 モデル に較べたら、数百倍も簡単です。そして、難解な コッド 関係 モデル の正規形について、正規化手続きを研究家たち・実務家たちが整えて来ました。同様に、TM も簡単な手続きとして私は整えて来ました。私が著作のなかで数学の技術を述べている理由は、技術が無矛盾であることを証明するには数学の説明がいるということにすぎない [ モデル の無矛盾性を証明することは、モデル を作った本人の職責です ]。ただし、技術を使うひとは、証明など知らないでもいいはずです──(無矛盾性の証明された) 技術を実地に使って、その技術の ききめ を実感すればいいだけです。

 ただ、TM は、その性質として、「帰服してする」 技術なので、私が 「普及しよう」 として世間を いくら説得しても、TM と同じ (あるいは、類似の) 考えかたをしてきた人たちしか共感・共有できない。そして、共感・共有される性質がなければ、長いあいだ使い続けてもらえない。TM が 「普及しない」 理由は、TM そのもの (あるいは、私の セールス 法) に落ち度があるのではなくて、TM が立つための土壌は (今の世間では、) 荒野になっている──世間は原論に対して興味を向けない──、という点にあるのです。そういう土壌 (の性質) が変わらない限り、TM は普及しないでしょう。難解と云われている (?) 拙著を初級向けに 「呑み込みやすい (?)」 文章にすれば、TM が普及するというような単純な話じゃない。「様々なる意匠」 が現れては消えてゆく舞台において、「呑み込みやすい」 所説などは、人々は直ぐに覚えて直ぐに忘れ去るでしょう。所説 (すなわち、技術) が使い続けられるためには、誰でもが──ここでは、エンジニア と思ってください──普段やっている手続きと同値的な手続きでなければならない。言い換えれば、多くの人たちの所説・技術を代辯した 「作者不明」 という態でなければならないでしょう。そして、勿論、理論的に正しい技術でなければならない。

 TM を個人で使うということと システム 作りの社内標準にするということのあいだでは、モデル に対する 「認知」 の性質が異 (ちが) います。個人で使うのであれば、ウェブ で (データベース 設計や モデル を) ググ れば 「T字形 (T字型 ?) ER手法」 が出てくるでしょう。そして、ググ っているときに、以下の 「情報」 を多量に見るでしょう──「データベース 設計には、ER 手法が役立つ」 と。[ ちなみに、TM は ER ごときの画法じゃない ]。では、それほど膨大な ER 手法讃歌が流れているにもかかわらず、ER 手法は、いったい、現場で いかほど使われていますか [ 私が関与してきた現場では、ER 図を ほとんど見たことがない ]。モデル を 「実際に使っている」 ユーザ (企業) は、(2,000,000社を超える数の株式会社のなかで) ほんの一握りでしょう。膨大な──しかし、ほとんど類似品の──「情報」 だけが ウェブ・書籍・噂で流れて、現場では、我流の ERD、我流の DFD、我流の 「抽象 データ 型」 が 「モデル」 と称して粗製濫造されているのが現実です。

 「TM を もっと普及してほしい」 と言っている人たちに私が逆に問いたいのは、「DFD、ER や UML は、絶対に必要です」 と思い込んでいる人たち (あるいは、会社が それらを社内標準法にしていて、それらを使わなければならない人たち、あるいは、モデル など役に立たないと思い込んで、テーブル 定義書しか作成しない人たち) を いかようにして鞍替えできますか、という点です。私は、20数年のあいだ、土壌 (前提) を変えようとして世間と戦って来ました──新たな キーワード (「様々なる意匠」) を担ぐ人たちや古い前提 (構造的 プログラミング) を固守している人たちが わんさと棲息している土壌において、反対のことを語ることが いかに難しいか。それは 物の見かた (perspective) を変える戦いです。そして、その戦いのなかで私が実感した点は、たとえ、他人 (ひと) を ロジック で説得できたとしても、他人は前提を簡単に変えない、という点です。もし、そういう人たち [ 前提を変えない人たち ] のことを阿房なのだと非難して説得を止めるのであれば、「TM を普及してほしい」 などと安直に謂わないでいただきたい。なぜなら、そういう人たち [ 前提を変えない人たち ] が態度を変えなければ、TM は普及しないのだから。そして、私は、そういう人たち [ 前提を変えない人たち ] を 「将来の (潜在的な) ユーザ」 と思って、TM を知ってもらうために、「草の根」 運動のように、セミナー 講師を 25年のあいだ務めてきたし、著作を 2年くらいの間隔で 9冊 執筆してきました。

 でも、私は、この頃、その戦いに対して疲れを覚えています、、、懸命に訴えても、商品は 「選ばれる」 側に立っています。「選ぶ」 側は、類似の商品を すでに持っている人びとです──たとえ、持っている商品が すでに古い物であっても、いまだ使っている状態にいる人たちです。世間の岩盤のような土壌を少しでも耕そうとしてきた戦いのなかで──25年のあいだ──、私は、宣長の言 「心より帰服してする事にあらざれば、末とほりがたく、永くは行はれぬものなり」 を はっきりと観て来ました。私の セミナー を聴いて、TM の ファン になった人たちは 「はじめから説得されていた」──言い換えれば、従来の やりかた に疑問を抱いていた──人たちなのです。そして、かれらは、いったん TM の ファン になったら、TM を永く使い続けてくれています。技術が技術として確実に使われるためには、私には、こういう 「草の根」 運動しか普及法を思いつかない

 「様々なる意匠」 が現れては消えてゆく マーケット のなかで、25年のあいだも 「草の根」 運動をやってくれば、糠に釘を打つような虚しさを感じない訳ではないけれど、ただの非効率な伝播法じゃない──TM (あるいは、T字形 ER手法) という名を知ってもらっても使ってもらわなければ普及したことにならないでしょう。情報過多の時代には、ウェブ で ググ れば名を知ることができるということと、現場で使われているということとのあいだには、単純な線型比例の関係などないくらい明らかなことでしょう。「様々なる意匠」 が現れては消えてゆく マーケット のなかで、TM を普及するために困難に屈せず──私生活を犠牲にしてまで──、私は やり通してきたつもりです。それでも、「原論 (正統な・正当な技術)」 を継承し普及しようと戦ってきた私は、じぶんが ドン・キホーテ のように思われる虚しさを感じるときがあります──騎士物語を読みすぎて舞いあがった田舎郷士が修業の旅にでて滑稽な振る舞いをして失敗する、そういう喜劇 (悲劇 ?) を私の身上に感じています。

 
[ 追伸 ]

 本 エッセー を読んで、TM (T字形 ER手法の改良版) が普及していないなどと思わないで下さいね (笑)。TM は、生まれたときから今に至る 10数年のあいだ、つねに、なんらかの形で話題を起こしてきました──ウェブ を ググ っていただければ、それがわかるでしょう。TM が使われている ユーザ 数は、私が関与した数で言えば延べ百数十社ですが、私が関与していない ユーザ を入れれば、そうとうな数の ユーザ 数です。ただ、2,000,000社を超える会社の数と較べれば、些細な数です──だから、私は、TM を 「もっと普及したい」。私の仕事柄、ユーザ・リスト を公にはしないのですが、百数十社の ほとんどが日本を代表する企業です──そのなかの数社は、「全社標準」 [ 社内の すべての プロジェクト で使うこと ] として使って頂きました。ユーザ・リスト を本 ホームページ で公にしないことに対して、2 チャンネル だかで 「本当に使われているの?」 という懐疑が綴られていたそうですが、ユーザ の事業戦略に関与している コンサルタント が ユーザ を公表しないのは当然の ethics でしょう。

 「モデル の専門家たち」 が本人一っぱしに批評家を気どって TM を いじる (批評する) ことを私は気持ち良く思っていない──たとえ、それが賛辞であったとしても。というのは、エンジニア であれば、仲間うちで論評することなんかには興味を感じないで、じぶんの技術が実地の使用において役立つことを希 (ねが) っているはずです。そして、私も、その希いを逞しく抱いています。エンジニア は、理論と現場を真っ直ぐに観ていればいい。TM が事業を 「正確に」 記述する 「抽象 データ 型 モデル」 として役立つことを希っています。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、太田善麿 訳。

 
 (2010年10月16日)

 

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