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Reason ought to be in counsel.

 

 本居宣長は、「玉くしげ」 のなかで、以下の文を綴っています。(参考)

     (略) まず今の世では自分に与えられた役目さえつとめていれば、
     他の役目の事は関係ないものとして、たといはたで見ていて目に
     あまる程の悪い事やまずい処置をすることがあって、それが上の
     ためにも下のためにもよくないということは承知していても、自分
     の役目に関係していないことは、ただそのまま見ているだけである。
     これは非常に不忠なことであるけれども、それが普通になっている
     ものだから、心ある人もどうするわけにもいかない。だがたとい
     自分が関与していない他の役目の問題にもせよ、正当でないと
     思うことがあったなら、おたがいに心を合わせて助けあい、また
     事柄によっては遅滞なく上にその事実を伝えるようにするという
     ことにすれば、(略)

 さて、私が以上の文を読んで思い浮かんだ観念は様々に多かったのですが、ここでは、「自分に与えられた役目」 を中核にして 「専門性」 について考えてみたいと思います。

 私の性質に関して、或るひとが次のように指摘したことがありました──「マサミ さんは、じぶんに関係のないことに対して、『ぼくには関係のないことだから (I'm not part of it)』 と冷 (ひ) ややかに言って一顧だにしない」 と。
 ちなみに、( ) のなかに綴った英文は、飾りで綴ったのではなくて、そのひとが そう言ったときに、私が、「関係ない」 というのは英語で言えば しかじかの文であって、集合の メンバー として集合に貢献できるほどの私見を持っていないことに私は関与しない [ 私には関係ない ]、というふうに返事したのでした。

 ただ、そのひとの言ったことが、その後ずっと今に至るまで、私の頭のなかに ゴツゴツ とした岩のように場所を占めていました。ちなみに、われわれの会話は、10数年も以前のことでした。

 私は 「専門性」 を じぶんの価値観の根柢に置いています。私が エンジニア という職に就いたから、そういう習性を帯びたのでしょうね。というのは、「文学青年」 であった頃──特に、20歳代の終わり頃まで──、私には、そういう習性はなかったし、当時、「スペシャリスト か ジェネラリストか」 などという (今にして思えば、) 単純な (simplistic) テーマ が論じられていて、私は スペシャリスト を組織のなかで専門技術しか期待されていない一つの歯車 (a cog in a wheel) にすぎないと思い込んでいて侮蔑していました。

 システム・エンジニア になって じぶんの専門性が問われる仕事をやっていると、「専門性」 を重視するようになるのは当然だとしても、「専門性」 を ひたすら 追究すれば、じぶんの 「生きかた」 に関して確かな自信を持つことができるのかと自問してみれば、はなはだ覚束 (おぼつか) ない。ひとつの専門技術を持っていれば、それを持たないことに較べて、じぶんの 「生きかた」 に対して、なんらかの自信を私が感じていることは確かなのですが、仕事を いったん離れたときに──言い換えれば、ふだんの生活にもどったときに──、自信とは逆に、なにかしらの不安を感じることが多いようです──少なくとも、私の場合には。ひとつの専門性は、事態を見通す ちから にはならないでしょう。たとえば、コンピュータ の技術を専門にしていれば、「情報化社会」 を わかるのかと自問してみれば、「否」 と応えるしかない。というのは、「情報化社会」 は、なにも、コンピュータ のみで構成されている訳じゃないのであって、「政治」 「経済」 の制度や 「宗教」 「哲学」 の思想や 他にも様々な社会的組成があるので、ひとつの視点で語ることのできる対象じゃない。

 しかも、コンピュータ の技術に限っても、システム 設計では、「経営」 が関与してくる。コンピュータ の技術さえ知っていれば、コンピュータ の技術がわかるという訳じゃない。逆に言えば、コンピュータ の技術──正確に言えば、技術の 「意味」──を知るためには、他の知識も知っていなければならないというのが 「専門性の パラドックス」 なのかもしれない。その意味において、じぶんの専門外の書物を乱読することを私は悪いことだと思っていない──私自身の読書を振り返っても、「コンピュータ」 の読書量に較べて、「哲学」 「数学」 「文学」 「宗教 (禅)」 および 「英語」 などの読書量のほうが圧倒的に多い。

 宣長の謂っているように 「正当でないと思うことがあったなら」 告発して戦う──しかも、それが じぶんの専門領域で起こっている事態であれば、戦うのは勿論のことであって、私の人生は [ 30歳代から今に至るまで ]、そのために費やしてきたと云ってもいいくらいです。そして、「おたがいに心を合わせて助けあい」 という点について、私は 「TM の会」 の会員たちに心から感謝しています。そして、私を つねに バックアップ してくれた ITS 社の皆さんに心から感謝しています──かれらが バックアップ してくれたからこそ、私は、なんとか立っている (hold together) ことができました。もし、私一人で戦っていれば、私は確実に 「潰れていた (I'm going to pieces.)」 でしょうね。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、太田善麿 訳。

 
 (2010年11月16日)

 

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