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The Bible is literature, not dogma. (George Santayana)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション bible のなかで、以下の文が私を惹きました。

    I have spent a lot of time searching through
    the Bible for loopholes.

    W.C. Fields (1880-1946) US actor.
    Said during his last illness
    Attrib.

 
    There's a Bible on that shelf there. But I
    keep it next to Voltaire -- poison and
    antidote.

    Bertrand Russell (1872-1970) British philosopher.
    Kenneth Harris Talking To: 'Bertrand Russell' (Kenneth Harris)

 
 いずれも、聖書に対する 「反抗」 ですね。そして、「反抗」 しながらも、聖書を認めている。

 私は、ここで聖書に関して私見を述べるつもりはない──私は、聖書を 数回 丁寧に読み通していますし、その読書 ノート も作成していますが、聖書そのものについて述べるのであれば、本 エッセー のような ページ 量じゃ足らないので、本 エッセー の読者が聖書を読んでいるという前提で本 エッセー を綴ってみます。

 聖書に対して私は Fields 氏や Russell 氏と同じ感を抱いています。私は聖書を読む前に文学に親しんでいたので、すでに、文学的土壌のうえに聖書を植え込んだ態です。私が聖書を読んだ理由は、有島武郎氏の文学に親しんでいて、彼が一時 キリスト 教徒であったことを知って、彼が惹かれた聖書を読んでみたいと思ったからです──高校生の頃です。ちなみに、有島武郎氏は、後年、キリスト 教から離れました。高校生の知識・体験で聖書を読んだのですから、聖書の読みかたも上面 (うわつら) を撫でたにすぎなかった。それでも、高校生にしては聖書に関する解説書を多数読んで、キリスト 教に惹かれたことを覚えています。内村鑑三氏の著作を いくつか読んだのも この頃です。そして、私が聖書を丁寧に読み返した年齢は 40歳なかばを越えてからでした。

 私は マザー・テレサ を尊敬しています。彼女の生前、私が もし 彼女の前に立ったならば、私は率直に跪いて、彼女の足に接吻したでしょう。John Pope U も彼女の ファン でした。彼女に関して私が どうしても わからないことは──私の想像を超えている点は──、彼女が どうして あれほどの 「博愛」 を持つことができたのかという点です。他人に対する同情のみじゃ愛を継続できない。そして、私は彼女の行為を讃歎して、彼女の信じていた聖書を 「作り話 (a fable)」 とは毛頭思えない [ このことは仏典についても言えます (たとえば、道元禅師は 「法華経」 を重んじておられた) ]。

 聖書 (および、「正法眼蔵」) に惹かれながらも、私は自分を 「仏の家に投げ入れる」 ことができない。Russell 氏と同じように、私の本棚では、聖書の隣には文学の書物が並んでいます。じぶんを凝視することに忙 (せわ) しい私には、「捨身」 の覚悟がない。しかし、じぶんのことを先に護身して他人を扶助するというのでは、一歩間違えば臭味がでる。

 私は、聖書 (および、「正法眼蔵」) を前にして項垂れるしかない、、、。しかし、私は、気が咎めながらも、聖書 (および、「正法眼蔵」) を忽 (ゆるが) せにしない。

 
 (2011年 7月 1日)

 

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