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The secret of being a bore is to tell everything. (Voltaire)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション boredom (および bores) のなかで、以下の文が私を惹きました。

    You ought not to be ashamed to being bored.
    What you ought to be ashamed of is being
    boring.

    Lord Hailsham (1907-2001) British Conservative politician.
    The Observer, 'Sayings of the Week', 12 Oct 1975

 
 Lord Hailsham 氏は、英国の大政治家なので、かれの生涯については ウェブ で検索すれば多量の情報を得られるでしょう。引用文の味噌は、bored と boring を対比している点でしょうね──「じぶんが退屈しているのは恥ではないが、じぶんが相手を退屈させていることは恥ずべきことだ」 と。すなわち、相手を退屈させることは、「恥」 (= distressed feeling, loss of self-respect caused by wrong, dishonourable, or foolish behaiving, failure, etc.) ということ。この 「恥」 は、日本語の 「恥」 とは異 (ちが) うし、American usage の It's a shame...とも 若干 違う──明らかに、批評語として使われています。

 私は、相手を退屈させないように気を遣うほうです。私の性質を 「朗らか」 であるように思っている人たちが多いようですが、「文学青年」 で エンジニア が朗らかである訳がない、内気で内省的な性質です。ただ、人びとが集まったときには、対話するために集まっているのだから、話し難い重々しい場所にはしたくない。そういう配慮を払っているだけのこと。逆に言えば、そういう配慮をしない人を私は嫌っています。じぶんが対話に入らないで、じぶんの意見をだれかが促すまで待っているような態度は私には高慢に写る。勿論、内気な性質のために怖じけづいているのであれば、私は、そういう人が発言しやすいように配慮しますが、じぶんの意見を皆が期待していて促されるまで披露しないという気振りのある ヤツ には強烈な嫌悪感を覚えます。対話するのであれば、少なくとも、相手を退屈させないというのは エチケット ではないかしら。

 
 (2011年 7月23日)

 

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