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Cats, like men, are flatterers. (Walter Savage Landor)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション cats のなかで、以下の文が私を惹きました。

    If a dog jumps onto your lap it is because he
    is fond of you; but if a cat does the same
    thing it is because your lap is warmer.

    A.N. Whitehead (1861-1947) British philosopher.
    Dailogues.

 
 文を読んだときに、「なるほどなあ」 と思って、誰の言かしらと確かめたら A.N. Whitehead 氏だったので、私は悦びました。というのは、彼は、私が モデル TM を作るときに大きな影響を与えた数学者 (哲学者?) だったので。ただ、私が読んだ彼の著作は、二冊にすぎない──「プリンキピア・マテマティカ 序論」 (ホワイトヘッド・ラッセル 共著、岡本賢吾 他訳、哲学書房) と 「科学的認識の基礎」 (ホワイトヘッド A.N. 著、藤川吉美 訳、理想社)。Whitehead 氏の全集が出版されているのですが、なにぶん膨大な著作群なので、研究家でもないかぎり、おそらく読み通すことはできないでしょう。前述した著作二冊は、彼の考えかたを知るには打ってつけだと思います。

 さて、私は 「犬」 派であって、猫を嫌いでした──実際、私の実家では、私が小学校低学年の頃から高校生になるまで、犬を飼っていました (歴代で二匹です)。最初に飼った犬は スピッツ [ 名は シロ ] でした。名犬でした。私が小学生の頃、祖母が家に一人でいて (脳溢血 ? で) 倒れて、病院に運ばれたときに、シロ は庭で鎖につながれていたのですが、鎖を引きちぎって、祖母を乗せた自動車 (救急車 ?) を追いかけたそうです [ 私は学校にいたので、そのときの詳細を知らない ]。数日後、シロ は、家に帰ろうとして、道ばたで息絶えていました。二代目は、マルチーズ [ 名はチビ ] でした。迷犬 (?) でしたが愛敬があった。猫と喧嘩して、猫に負けて道ばたの水路に落っこちた迷犬でしたが、とても可愛かった。「犬は人につき、猫は家につく」 と古来云われていますが、確かに そうだと思う。

 さて、その猫ですが、家内が 「猫」 派で、愚息たちも、家内の影響なのか 「猫」 派です。私は 「犬」 派で 「うどん」 派なのですが、家内も愚息たちも 「猫」 派で 「そば」 派です──私が孤立している (笑)。以前、本 ホームページ の 「佐藤正美の一言 メッセージ」 で綴りましたが、今年 (2011年) の 5月25日に、わが家に猫が来ました──家内が飼いたいと言ったので、私は承諾しました [ 承諾せざるを得ない (笑) ]。生後一ヶ月半の子猫 (雌) でした。家内の実家の近くにある動物病院でもらって来ました──家内が猫を飼いたいと言っていたので、家内のおかあさんが動物病院に貼り出されていた 「里親求む」 の ちらし を観て、子猫を一匹もらって来ました。親猫と子猫三匹が動物病院に庇護されていたそうです──野良猫でした。長男 (20歳) が──防衛大学校で寮生活をしているのですが、家内のほうに メール を送ってきて──わが家にきた子猫を 「さつき」 と命名しました。長男が最初に リスト して来た名前は、イージス 艦の名前ばかりだったのですが (笑)、五月に わが家に来た猫なので 「さつき」 という命名にしたそうです。なお、三男 (16歳) が その命名を聞いて、「五月に来たから 『さつき』 っていう名前は、安直だ」 と言っていました (笑)。

 「さつき」 が わが家に来た日、便所を即刻に覚えたのですが、野良猫だった習性が抜け切れていなかったのか、われわれから逃げるようにして、リビング・ルーム の本棚の後に隠れて、なかなか、出てこなかった。でも、彼女は数日で われわれに慣れました。今では、我が物顔で家の中を縄張りとして闊歩しています。私に一番慣れていて、私が両手を叩いて 「さつき」 を呼ぶと私のほうに来ます──まるで、犬のような猫です (笑)。猫の習性については、ウェブ で多数の記述があるので、それを ここで綴ることもないでしょう。

 家内が仕事 (介護士) で疲れて帰宅して、「さつき」 と遊んでいるときの彼女は、まるで、子どもの頃に戻ったような あどけない顔になっている。家内以外は男が四人の家族で むさくるしいかったのが、「さつき」 という娘ができて、和やかになった。ちなみに、おばあちゃん (家内の おかあさん) も、私と同じように猫を好きじゃなかったのですが、わが家に電話をくださるときに いつも 「さつき」 のことを真っ先に尋ねて、「あの子は可愛い、私が見つけたのョ」 と おっしゃています (笑)。私 (そして、おばあちゃん) は 「猫」 派に寝返りそうです。

 本日の エッセー は、いつもの論調から随分と脱線してしまいましたが──Whitehead 氏のような立派な哲学者なら、「猫」 について深い洞見を綴ることができるのでしょうが──ひとつの可愛い生命 (いのち) に愛着を抱いていることを実感していれば、私には それだけで充分です。一つだけ訓戒めいたことを言えば、私は 「さつき」 を抱っこして、「さつき」 に次のことを言い聞かせています──「サッちゃんは 目茶 可愛いけれど、出身が野良だってことを忘れるなョ、逞しく生きろョ」 と (笑)。

 
[ 後日談 ]

 家内と三男(高校一年生)が 「さつき」 を拙宅の近くの河原 (入間川の河原) に散歩に連れていきました。「さつき」 は わが家に来てから ズッと家の中で飼われているので、家内が わざわざ 飼猫の散歩用首輪を買ってきて、散歩に連れていきました。しかし、「さつき」 は、(首輪が嫌だったのか) 河原で両前足をつっぷして、腹這いになったまま一向に歩かなかったそうです (笑)。

 
 (2011年 8月23日)

 

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