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I am a man for whom teh outside world exists. (Theophile Gautier)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション character のなかで、以下の文が私を惹きました。

    What is character but the determination of
    incident? What is incident but the illustration
    of character?

    Henry James (1843-1916) US novelist.
    Partial Portraits, 'The Art of Fiction'

 
    There is no such thing as psychological. Let
    us say that one can improve the biography of
    the person.

    Jean-Paul Sartre (1905-80) French writer.
    The divided Self (R.D. Laing), Ch. 8

 
 character の セクション には 26篇の引用文が記載されていたのですが、私を惹いたのは上に転載した 2篇でした。そして、この 2篇を読んだときに、私の頭の中に、芥川龍之介氏の次の ことば が走りました。

    運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と
    いう言葉は けっして等閑に生まれたものではない。

 これらの 3篇は、同じ文意だと思います──私は自分の今までの生活を振り返ったときに、これらの文は同じ意味に思われました。そして、この文意を 「文学青年」 は、きっと、実感しているでしょう。私には、「運命」 とは 「(自分の) 性質」 と同義語のように思われます──すなわち、こういう 「運命 (あるいは、人生)」 を歩んだのは、偏 (ひとえ) に 「(自分の) 性質」 に因る、と。そして、私が戸惑うのは、今の自分が どうして こういう性質 (character) を持ったのか、ということです。自分の性質について戸惑いを感じるということは、とりもなおさず、自分の性質を──したがって、「運命」 を──好ましいとは決して思っていないことの顕れでしょうね。しかしながら、好ましいとは思っていなくても、私は その性質を今となっては変えることができない。

 「還らぬ昔、知らぬ行末」──われわれの性質 (あるいは、個性) は、自分たちの過去に根を下ろしている他に在りようはないでしょうね。そして、われわれは、一人で自分の性質を拵 (こしら) えることはできない。小林秀雄氏は次の文を綴っています (「X への手紙」)。

     たとえ社会が俺という人間を少しも必要としなくても、俺の精神
    はやっぱり様々な苦痛が訪れる場所だ、まさしく外部から訪れ
    る場所だ。俺は今この場所を支えているより外、どんな態度も
    とる事が出来ない。そして、時々この場所が俺には一切未知
    なものから成り立っている事をみて愕然とする。(略) 俺は毎朝
    顔を洗うとき鏡を見てはよく考える、誰もこんな風には俺の顔を
    眺めてはいない、と。

  one can improve the biography of the person ──いわゆる 「運命 (人生) を切り開く」 こと (自己改造?) は、果たして、「自分の思い通りに」 できるのか、、、私が描く自画像に近づくために私が尽力している様は 「足掻いている」 態でしかないのではないか。というのは、私は社会の中で つねに 幾多の 「関係」 の総和として立っているので。それらの 「関係」 を一つ一つ分析することなど土台できやしない、そして、私の思いの辿る先は、いつも、「どうして こういう性質を持つようになったのか」 という嘆息しかない。

 
 (2011年 9月23日)

 

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