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Charm is a product of the unexpected. (Jose Marti)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション charm のなかで、以下の文が私を惹きました。

    It is absurd to divide people into good and
    bad. People are either charming or tedious.

    Oscar Wilde (1854-1900) Irish-born British dramatist.
    Lady Windermere's Fan, T

 
 「なるほどなあ」 と思う。えてして、「いい人」 と云われている人物が 「退屈な」 人間味であることが多いのかもしれない。「ちょい不良 (わる) オジサン」 という言いかたが数年前 (?) に流行ったけれど、巧い言いかただと思う──鋳型 (世間体) に嵌 (は) められて造られたような代物じゃない、という反抗を込めた語でしょうね。

 三島由紀夫氏の 「文学評論集」 の中に 「オスカア・ワイルド」 という エッセー が収められていて、その エッセー の中に次の文が綴られています。

    生活とは決して独創的でありえない何ものかだ。ホフマンスタール
    の忠告にもかかはらず、しかし運命のみが独創的でありうる。
    キリストが独創的だつたのは、彼の生活のためではなく、磔刑と
    いふ運命のためだ。

 キリスト の劇的な運命は われわれ凡人には起こりえない運命ですが、われわれが他人のなかに感じる魅力は、その人の生きかたが醸す雰囲気で生じるのかもしれない──こんなことは 今更 論じなくても、われわれは社会生活の中で直覚してきたことですね。

 charm というような掴み所のない 「概念」 は、実に語り難い──不思議なことに、その反対概念は列挙しやすい、例えば 「下衆(げす)い」 とか 「下品」 とか 「退屈」 とか 「窮屈」 とか 「凋 (しぼ) む」 とか 「萎える」 等々。この対比を興がってはいけないけれど、charm には、「魔除け」 「呪文」 の意味もあって、a charm against devils という言いかたもあるので、「エネルギー (ちから)」 であることは確かでしょうね。その人の presence (存在感) を相手に伝える ちから でしょうね、日本語で言えば 「花 (華)」 か。媚びとは違う。

 「芸術」 とか 「美」 という概念も掴み所がないけれど、個々の作品が それらを伝えるのと同様に、charm とは その人と不離な特性であって、charm を語るには その人 (の所為) を語るしかないでしょうね。そして、本人も知らぬ特性が charm の本領でしょう、自分には しかじかの charm を持っているなどと言えば、臭味が立つ──「艶道通鑑」 に曰く、「下手気の抜けぬ未熟柿 (なまじゅくし)」。宣伝すべき性質じゃない。他人が惹かれて寄って来る性質でしょうね。

 「美」 は直示できなくても確かに存するように、charm も存することを私は他人を観ていて認めるけれど──私は、今、魅力的な人たちを幾人か思い浮かべて この文を綴っていますが──、charm(ing) などという 「概念」 は、単独で論じないほうがいい、砂上に水を撒くような空論に果てる。したがって、charm を意識するよりも──charming な他人に憧れて真似るよりも──、まず自分の精神をできるだけ正確に顕すように心掛けるしかないのではないか。個性が charm の源泉ならば、「自分」 に還るしかないのではないか。

    修業とは善心増さず悪消へず、鏡の面 (おもて) 磨 (と) く
    と心得 (こころへ)
    (「ぬれほとけ」、日本思想大系 60、岩波書店)

 そこに顕れる 「潤いある知性」 が charm として感じられるのでしょうね。

 
 (2011年10月 1日)

 

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