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What man wants is simply independent choice,... (Dostoevsky)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション choice のなかで、以下の文が私を惹きました。

    Two roads diverged in a wood, and I --
    I took the one less traveled by,
    And that has made all the difference.

    Robert Frost (1875-1963) US poet.
    The Road Not Taken, T

 
 私も同じ意見を抱いているのですが、実生活では、(森林の中を トレッキング することとは異 (ちが) って、) 「かつて (過去に) 歩いた」 道を再び歩くという事は時空上起こりえない事であって、「似たような」 事態が生じそうだという兆しなら われわれは時々感じるでしょう──たとえば、日々の routine な仕事も そうかもしれない。そう考えれば、Frost 氏が述べていることは、dislike routine として読んでいいかもしれない。

 私は、知的生活では、未知な世界を意欲的に学ぶほうです。そして、知的生活に限ったように、書物を多量に読むので、実生活上、外見は、同じ事──机に向かって ひたすら 書物を読むという行為──のくり返しです。起床してから夕食 (晩酌) まで、書物を読んで考える日常です。ただし、それは活動的でないということではない、いっぽうで、私は旅 (および、戸外・野外を歩き回ること) も好きです。

 じぶんの生活を一つの閉包 (closure) として考えれば、その閉包の外 (そと) には無限とも云える世界が存在しているので、じぶんの閉包の外に存する外点を取り込みながら、閉包を大きくしてゆくというのが生活ではないかしら。言い替えれば、われわれは、過去 (今まで歩んできた道) の延長線上で 「芋ずる式に」 道を開墾してゆくために、様々な可能態の中から じぶんの志向・嗜好で次に歩く道を選んでいるのでしょう。そこには標識 (道しるべ) はない。どちらに向かって歩むかという選択が他人 (ひと) には 「冒険」 に写っても、本人にすれば a calculated risk かもしれない。そして、私は、ひとつの閉包のなかで──社会 (他人) と没交渉になって──自給自足するという態度を嫌っています。
 It takes two to tango ──そして、相手も常に変化している。

 「選択」 とは 「自由 (な意志)」 の同義語ではないかしら。そして、われわれは、じぶんたちの道を選択しながら生活を続けるので、「選択」 とは意志の持続のことでしょうね。私の意志は、私の拡充を常に もとめている。未知な道中では、試練は常に不可避でしょう。そして、試練の中で私は いつか挫折するかもしれない。しかし、「選択」 という行為が ほんとうに真価を問われるのは、試練をおいて他にないのではないかしら。したがって、じぶんを拡充する意志は常に試練をもとめているのでしょうね。賭けられているのは自分自身です。

 
 (2011年10月 8日)

 

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