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Hygiene is the corruption of medicine by morality. (H.L. Mencken)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション cleanness のなかで、以下の文が私を惹きました。

    Bath twice a day to be really clean, once a
    day to be passably clean, once a week to
    avoid being a public menace.

    Anthony Burgess (John Burgess Wilson; 1917- )
    British novelist.
    Mr Enderby, Pt. T, Ch. 2

 
    Have you ever taken anything out of the
    clothes basket because it had become,
    relatively, the cleaner thing?

    Katherine Whitehorn (1926- ) British journalist.
    The Observer, 'On Shirts', 1964

 
 さて、私はこういう テーマ で意見を述べるのには気怯れします。というのは、私は面倒くさがる性質なので、家では いったん机に向かうと食事も風呂も煩わしい──風呂に なかなか入らない。それでも、晩酌だけは しっかりと嗜んでいるのですが (笑)。

 引用文の一番目を読んで想ったのは、一日に二回も入浴する日本人は一体どのくらいの人数いるのかしら。私が若い頃 (30歳代)、ダラス (米国) に出張した時、彼の地の炎天では、さすがに、一日に 二回 シャワーを浴びていましたが、日本では、数日間、風呂に入らないことも多い。1970年代頃の日本では、風呂を焚く回数は せいぜい週に三回 (日曜日、火曜日、金曜日) くらいだったように私は記憶しています──まいにち じゃなかった。それは私が不潔だというのではなくて、日本人の多くの家庭ではそうだった。私が大学生の頃、三畳一間の下宿生活をしていて風呂屋に通っていましたが、その回数は週に三回でした──貧乏な学生だったので、生活費に困った時には、二回くらいに減らしていたと記憶しています (これは明らかに不潔です [ 笑 ])。

 引用文の二番目を読んで思い起こすのは、当時 (1970年代に) 大学生だった男で、下宿していれば、たいがい なかなか洗濯しなくて、洗濯物 (汚れた下着・服) をゴミ袋に溜めていて、その袋の中から比較的汚れの少ない下着・服を探しだして着たという体験をしているのではないかしら。当時、いまだ、コインランドリー が普及していなかったので、下宿生たちは、下宿の庭先に設置された水道付き洗所で洗濯物を水洗いしていて、洗濯板と固形石鹸を使っていました──洗濯物を山のように溜めているのだから、一度に多量を手洗いしなければならなかった、多量の下着・服を揉み洗いして、両手の中指・薬指の第一関節が赤く充血した (時に、擦り剥けた) [ 冬には、ゴム手袋を着用して洗濯しても水の冷たさで手が凍 (こご) えた ]。下宿生たちが洗濯するときは、たいがい、月末の土曜日・日曜日に集中したので、一人が多量の洗濯物で竿を占領すると、他の人たちは、その日の洗濯を諦めるしかなかった。コインランドリー (と乾燥機) が私の通っていた風呂屋の近所に導入されたのは私が大学三年生の頃だったと記憶しています。そして、洗濯を面倒くさいと感じていた男子学生にとって、コインランドリー は、まるで救世主のように思われました (笑)。

 「加齢臭」 ということが云われていますが、それは自然の摂理なので、それを人工的に脱臭しようという意図が私にはわからない。「加齢臭」 という語を綴ったら、「日本人の体臭」 を揶揄した不快な話を思い出しました。かつて、キッシンジャー 国務長官 (当時) が来日して飛行機を降りたときに、「魚臭い」 と言って物議を醸した──尤も、fishy という語には seeming to be false という意味もあるので、日本とのこれからの交渉を想像して There will be something fishy going on という皮肉だったのかもしれない [ ただし、そういう皮肉として考えるのは私の邪推かも、彼は物理的に感じた臭いを正直に口にしたのでしょうね ]。
 体臭は飲食物の滋養の顕れなので、体臭を消すというのは無茶でしょうね。私は、いつか、大蒜 (ニンニク) を喰らった後で屁をひったら、屁は大蒜の臭いがした。魚を長年食し続ければ、魚の臭いがしても尋常ではないか。われわれは、他の動植物の生命 (いのち) を食べて生存しているのだから、それらの生命の臭いが体内に沈潜し付着するのは自然ではないか。クッキング 法がいかほど文明化しても、他の動植物の生命を食べるという意味では、われわれは野生から それほど遠くにはいない。しかし、何を食するか (何を食して来たか) は、「文化」 の問題でしょうね。そして、逞しく食せば体臭も強くなるでしょう。

 清潔であることは良いことなのですが、最近の若い人たちを観ていると、嗅覚が過敏になっているいっぽうで味覚が鈍感になっているように想うのは、私の思い過ごしかしら。

 
 (2011年10月23日)

 

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