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Excessive conformity is usually caused by fear of disapproval. (COBUILD)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション conformity のなかで、以下の文が私を惹きました。

    Who spits against the wind, it falls in his face.

    Proverb

 
    Take the tone of the company you are in.

    Earl of Chesterfield (1694-1773) English statesman.
    Letter to his son, 9 Oct 1747

 
 一番目の引用文を私は矜持と悔恨が錯綜した思いで実感しています。矜持というのは、いわゆる 「数学基礎論」 の モデル 理論 (Theory of models) を単純な技術として具現化して来たという思いであって、悔恨というのは、その技術が システム 作りの 「分析・設計」 段階で 旧来 使われてきた図法 (DFD や ERD など) を非難してきたがゆえに逆に私が 「異端 (a heretic)」 として見做(みな)されて、私が モデル 規則を作るために費やした 20年弱の労が徒労だったのではないかという思いです。社会の体制の中で温和しくしていれば良かったものを。Quietness is best, as the fox said when he bit the cock's head off. (雉も鳴かずば撃たれまい。)──しかし、私は、「我」 が強いので、衆の中で同調して温和しくしているという性質を持ちあわせてはいない (笑)。

 世の中の事が意に沿わなくても私はたいがい我慢できる。しかしながら、自分が属している職域では、情報科学であるべきものが科学になっていない事だけは我慢できない。「私は正論を語っている」 などという白々しい事を言うつもりは更々ないのであって、DFD や ERD を数多い人たちが認めているからには相応の理由がある事もわかっているうえで、「抽象 データ 型 モデル」 は、情報科学の源流たる 「数学基礎論」 の中で モデル 理論として産まれた事に世間の注意を向けたい。「抽象 データ 型 モデル」 の事を 「製造」 では アルゴリズム と云って、「分析・設計」 では モデル と云っているにすぎない。したがって、私は通説に唾を吐いているつもりは更々ないし、寧ろ私は (学問の) 通説を尊重しています。そんな私が自分の仕事に対して矜持を抱くいっぽうで悔恨に近い思いを抱くのは、今まで随分と悪口を言われて来た嫌気・憂鬱さに起因しているのかもしれない──ひょっとしたら、私 (TM を作った事) は間違っていたのではないかと自問 (soul-searching) する時もあるので。

 二番目の引用文は、チェスターフィールド 氏の手紙文です。チェスターフィールド 氏の手紙は原文も翻訳本も私は読みました。学ぶことの多かった書物でした。「組織」 (あるいは、社会制度) の中で立派な仕事をするために弁 (わきま) える人生訓を知る事が多かった書物でしたが、私の気質は それには適応しなかった (笑)。或る社会制度の性質が前提にされて、その性質に適応するように個々人の振る舞いが制約・束縛される事に対して私は強烈な反感・憎悪を覚えます。だから、私は 「組織」 に適応できないのでしょうね (笑、そして苦笑)。「組織」 にはその性質 (風土) があって、「組織」 にも様々な形態があるので、「組織」 を一律に論ずるつもりは私にはないのですが、「文学青年」 的性質の強い エンジニア は 「組織」 の中で窮屈さを感じるでしょう。しかし、個人のできる仕事は 「組織」 が為すほどの大きな仕事はできない。個人のできる仕事は、個性を示す仕事に限られるでしょうね──たとえば、芸術とか。

 社会制度の中で使われる技術 (あるいは、思想) については、小林秀雄氏がいみじくも明らかにしたように、「遂に、どんな個人でも、この世にその足跡を残そうと思えば、何らかの意味で自分の生きている社会の協賛を経なければならない。言い代えれば社会に負けなければならぬ。社会は常に個人に勝つ」。そして、それが社会に同調する事であるならば、一番目の引用文に還流して、私が数学の モデル 理論に従って TM を作った事に悔恨を感じているのもそういう理由かもしれない──社会の協賛を獲やすくするためには 「組織」 (機関) の中で作るべきだった、と。

 しかし、私の性質は、前述したように 「組織」 (機関) の中で仕事できる性質じゃない。そして、私が エンジニア として常に考えている事は ユーザ の収益獲得に貢献できる技術を作ること (使うこと) であって、コンピュータ 業界の慣例・風潮に同調することじゃない。そうしないと私の 存在理由がない。私が大組織と同じ事をやっていれば、私が組織の外 (そと) に存する意味がない。ゆえに、conformity は私にとって釜茹 (かまゆ) でに等しい。

 
 (2012年 1月 8日)

 

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