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Dancing is a very crude attempt to get into the rhythm of life. (G. B. Shaw)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション dancing のなかで、以下の文が私を惹きました。

    On with the dance! let joy be unconfined;
    No sleep till morn, when Youth and Pleasure meet
    To chase the glowing Hours with flying feet.

    Lord Byron (1788-1824) British poet.
    Childe Harold's Pilgrimage, V

 
 さすがに、詩人の表現は スゲー (見事ですね)。

 さて、ダンス ですが、ダンス にも種々の様式があるので──たとえば、宗教的な舞踊もあれば芸術性の濃い舞踊 (バレエ など) もあれば世俗的な舞踊 (ソーシャル・ダンス や フォーク・ダンス など) もあるので──、ダンス を一縮して論ずることはできないのですが、ほとんどの民族が生活の中に持っている行為様式でしょう。我々はどうして ダンス を好むのかという様な大きな テーマ を この小さな エッセー で考えてみようなど私は思っていないのであって、生活の中で私が ダンス をどのように観ている──正確に言えば、眺めている──かを確認してみたいのです。

 ニジンスキー の舞踊を観て、自分にもできると思うような人はいないでしょう。舞踊という一事を演じるために生活のほとんどを抑制しなければ、ニジンスキー の様にはなれないでしょう──否、そうしたとしても、ニジンスキー の様な天才は、数十年に一人現れるかどうかの事件でしょうね。私が本 エッセー で言及する ダンス は世俗的なものです。私が若い頃に、モンキー・ダンス が流行 (はや) った。ジュリアナ の ディスコ・ダンス も ブーム となった。当時の私は 「文学青年」 で、芸術性の高い作品しか認めない 「文学青年」 に特有な疾病を患っていて、「低俗な」 社会を斜に観ていて、そういう ダンス を 「逆上 (のぼ) せた・下衆 (げす) い態だ」 とせせら笑っていたのですが、実は、彼らの爆 (は) ぜる エネルギー を妬 (そね) み少なからず憧れていました。今の私は、羽目を外す時には──羽目を外す事が暗黙裡に同意され期待されている 「時と所」 では──、「豪快に」 羽目を外します (笑)。

 舞踊には──特に、芸術性の濃い舞踏には──、肉感的な性質を感じます。そう感じるのは私に限った事ではないのではないかしら。鍛えられた筋肉の緊迫した抑制力を秘めた動きは、一つ一つの微動にも美しさを感じます──この美しさは、体操を観ていても感じられます。古代 ギリシア 人が愛した肉体美というのは、そういうものだったのかなと私は想像してみたりしますが、古代 ギリシア 人の愛した肉体美は、現代人が魅惑される肉体美とは、たぶん、違っていたでしょうね、もっと爽朗だったのかもしれない。現代の鍛えられた肉体美は、生活の中で置き所のない観賞用の 「病める真珠」 の様に私には思われます。日常生活を離れた或る限られた一つの目的のために鍛えられた戦士の鎧の様に私には思われます。

 世俗的舞踊は、開放感の中で肉感的な性質を感じますね [ 再度、先に引用した バイロン (詩人) の文を読んでみて下さい ]。それぞれの舞踊は風土・文化の中で生まれたので、西洋の舞踊と日本の舞踊では だいぶ相違があるのですが──特に、世俗的舞踊は実生活に根ざしているので、その相違は大きいのですが──、私は、今、日本の土着的な 「盆踊り」 を思い起こしています。私が子ども (小学生) の頃に育った農村で観た 「盆踊り」 では肉感的性質を強烈に感じました。今でも、その時の感覚が蘇る。収穫間近い稲穂の匂いが漂揺する (夕ぐれから夜に至る蒸し暑い中にも秋の気配の混ざった) 空気に包まれて、開放的な浴衣すがたで一座になって踊る。汗ばんで蒸せるような喧騒の中で親睦の実感が充ちていました。「盆踊り」 は、元来、盂蘭盆の頃に、年に一度この世に戻ってくる霊を迎える風習なのですが、稲作の収穫を間近にして開放感の中で、若い男女にとって言い寄る 「時と所」 だったのかもしれない。古代の歌垣も、そういう興趣だったのかもしれない。生活の中に根ざした肉感的なものを早熟な (?) 私は感知していた様です。しかし、私は、ついぞ、その輪の中に入れない性質を自身の中に感じてもいた様です [ I felt out of place. ]。そして、その風景を疼 (うず) くほど身に感じながらも、離れて眺めているだけだった──そういう性質が、その後の 「文学青年」 的性質の素地だったのかもしれない。

 
 (2012年 5月23日)

 

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