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Things sweet to taste prove in digestion sour. (Shakespeare, Richard U)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション disillusion のなかで、以下の文が私を惹きました。

    The price one pays for pursuing any profession
    or calling is an intimate knowledge of its ugly side.

    James Baldwin (1924-87) US writer.
    Nobody Knows My Name

 
    One stops being a child when one realizes
    that telling one's trouble does not make it better.

    Cesare Pavese (1908-50) Italian novelist and poet.
    The Business of Living: Diaries 1935-50

 
 一番目の引用文は、一つの仕事を──しかも、専門職と云われている仕事を──20年以上も継続して来た人であれば、きっと実感できる意見でしょうね。仕事に対して理想を抱いて仕事をはじめても、当初三年間くらいは、その仕事で使う技術を擦 (なぞ) って なんとか覚えるくらいが関の山であって、技術が second nature と呼べる様な状態じゃない。しかし、仕事をはじめる前に技術について もし知識を多量に仕入れていれば、その知識と現実の使いかたとの隔たりに悩む事が多くなるかもしれない──技術を実際に使うという事は、ささやかな一挙でも 毛頭 省く事ができない (疎かにできない) のであって、「技術とは、要するに云々」 という知識では語り尽くせないでしょう。仕事が身体を使う現実の動作である限りでは、力 (ちから) の入れぐあいは、実際にやってみないとわからない [ 体得できない ]。高度に抽象的な証明式も手仕事の産物なのだから。

 逆説的に響くかもしれないのですが、専門技術を 「わかりやすく語る」 事が専門家の証明にはならない──三十年間も専門技術を使って来て、専門外の人たちにその技術についてわかりやすく語る事ができるというのは取り繕っているにちがいない。勿論、当人は、その技術をわかりやすく体得しているのだけれど、そのわかりやすさというのは、当然にその技術の使われる 「時と所」 を前提にしているのであって、それらの前提を除いて技術を語る事などできやしない。望月新一京都大学教授 (数学者) が整数論の難問 「abc 予想 (conjecture)」 を証明なさった事が報道されて、或る新聞社が取材を申し込んだら、次のようにおっしゃって辞退なさったそうです──「これは、数学の、しかも少数の専門家の間で扱われる問題ですので」。私はその記事を読んで拍手しました。望月教授は天才に違いないのだけれど、数学の専門家でもわかる人たちがほとんどいないと云われている証明に関して大衆紙が取材を申し込んで一体どうしようというのかしら、苦労話や着想 (ソリューション) の生まれた逸話でも聞きたいのかしら、マスコミ というのは、、、どうして話題を作るのがこうも好きなんだろうな。「報道」 と称して、世間の 「事実」 を判断しているとでも錯覚しているのかしら。

 他人と三十年間も 四六時中 対面していたら相手の厭な性質も見えるのと同じ様に、一つの仕事を三十年もやっていれば昵魂 (じつこん) であるが故に外 (そと) からはわからない ugly な面も直に見える──私も自分の仕事についてそれを感じているのですが、それを綴らない事にします [ もし綴っても他人 (ひと) にわかってもらうのは困難なので ]。ちなみに、この ugly の使いかたは、次の使いかたと同じであると考えていいでしょう (Merriam Webster's Dictionary of Synonyms)。

  it is essential to sweep away in art all that is...fundamentally ugly,
  whether by being, at the one end, distastefully pretty, or, at the
  other, hopelessly crude--Ellis

  how eager we are to reveal all sorts of...ugly secrets about outselves
  --Mailer

 溶岩の醜い固まりが形成した山でも遠目には美しい三角形の景観として見える、そして、登山家の足下に見えるのは、溶岩石であって、山の美しさは見えない。しかし、登山家は、山の空気を直に感じている。──喩えれば、そんな事かもしれない。

 二番目の引用文も喩えで言い替えれば、(雛鳥が) 啼いてさえいれば今まで口の中に食べ物が運ばれて来ていたのが (巣立ちの時には) そうでなくなるという事でしょうね。そして、啼かぬ [ 生命力の弱い ] 雛は餌をもらえないという事も、(就職して間もない人は) 覚えて置いたほうがいいでしょうね。

 
 (2012年10月 8日)

 

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