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The world belongs to the enthusiast who keeps cool. (William Mcfee)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション enthusiasm のなかで、以下の文が私を惹きました。

    How can I take an interest in my work when
    I don't like it?

    Francis Bacon (1909- ) British painter.
    Francis Bacon (Sir John Rothenstein)

 
    Every man loves what he is good at.

    Thomas Shadwell (1642-92) Eglish dramatist.
    Antony and Cleopatra, IV;4

 
 ふたつの引用文とも同じ様な意味ですね── 1番目の引用文は 「好きでもない仕事に興味は持てない」 という意味で、2番目は 「自分の得意な事に愛着を感じる」 という意味です。私も、かつては (45才くらいまでは) そう思っていました。プログラマ も システム・エンジニア も、好きでなった訳じゃない──寧ろ、厭で厭でしかたがなかった。

 29才くらいの時に、プログラマ を辞めて、ガードマン の職に就いて──新たな職を探すまで生活費を稼ぐための一時的な職でしたが──、自分のやりたい事を考えました。大学を卒業した時には、文学をやりたかったのですが、貧乏になる事に腰がひけて断念しました。今もって貧乏なので、そうであれば、当時、腹を括って文学をやればよかったと思う事もありますが、貧乏に怖じけを振ったくらいだから、文学に対する熱意などは高が知れていた。The Japan Times の classified ads に翻訳家 (コンピュータ・マニュアル の英文和訳の翻訳家) の職が掲載されていたので応募して採用され、ガードマン を辞めましたが、採用された会社では、マニュアル の翻訳と プログラマ を兼務しました──プログラマ としては、米国製の会計 アプリケーション・パッケージ (固定資産会計) を日本で販売するために、ソース・コード を読んで日本の税法を組み入れて、画面・レポート を日本語化する仕事をやりましたが、英語・会計という得意な領域が係わっていたので、以前の プログラマ の仕事の較べれば マシ だったけれど、プログラマ の仕事が嫌いだったので鬱積して、辞意を 2年のあいだに 6回も上司に伝えましたが、そのたびに説得されて プログラマ を続けました。意志薄弱な様に思われるかもしれないのですが、私は英語が好きだったので、米国へ たびたび出張できる機会は、辞意を撤回するに充分な餌だった (笑)。

 その後に MRP U の 米国製 アプリケーション・パッケージ を 1年ほど関与して──この時は プログラマ ではなくて、MRP を説明する コンサルタント として関与したのですが──、そして私の人生に多大な影響を及ぼした RDB の プロジェクト に関与しました。この仕事については、本 ホームページ に幾度か綴っているので、いきさつは割愛しますが、当時、RDB は epoch-making な プロダクト でした──今から振り返れば、そう云えるのであって、当時、賛否両論で (非難のほうが多かった様に思う)、RDB の導入を薦める私は非難されていましたが、時代の波に乗って、私は 「売れっ子」 (sought-afer, a person very much in demand) になった。しかし、他人がやっていない事をやっているという意味では、私は目立ったのですが、RDB が普及すれば、最初に技術を知ったという事は特殊な事にはならない。私は 「売れっ子」 になるにつれて、虚しさが増大しました──プログラマ の時に感じていた 「私がやりたい事ではない」 という思いが常に私を悩ました。

 私は、プロダクト としての RDB を先ず知って、その後で、(RDB の原資料である) コッド 論文を読んだ次第です。歴史的事実の順序が逆になってしまったけれど、順序が逆になったがために知り得た事も多かった。コッド 関係 モデル は、40才以後の私の人生において呪縛となった。コッド関係モデルは、実務界で正確に読まれたとは私は思っていない。コッド関係モデルの革命性は、その論が形式的に整備されていて、分析・設計の科学性 (モデルの存在性) を示したのです。プロダクト としての RDB を最初に学んだ私は、コッド 関係 モデル の使用上の短所を先ず知っていたので、その短所を補うためにT字形 ER法を作りました。T字形 ER法は、今になって振り返れば、モデル とは云えないけれど、それを作っている段階では、自分の仕事に初めて興味を覚えました。しかし、興味を覚えて熱中した仕事は、自分の興味の形で入って来る物しか観なくなるので、好事家の域を出ない。つまり、自分に酔っていたのです。

 私は、今になって、自分のやりたい事をやろうと足掻 (あが) く事よりも、やらねばならない事をやる事によって充実感を覚えるのを知ってきました。「好きこそ物の上手なれ」 などという様な あまちょろい事を言っていては、興味がさめれば──興味が一生続くと言い切れないでしょう──やる気を喪失してしまうのではないか。

 ほんの偶然から就いた プログラマ の仕事を芋ずる式に辿って到った先が コッド 関係 モデル であって、更にその向こうには モデル 論 (数学基礎論) の山が聳えていて、登らざるを得なかった次第です。その山に入ってみたら、私の様な シロート にはとても登頂できる高さではなかったので、登れる所まで登って途中で やむなく下山しましたが、下山後の私は モデル に対する考えかたが変わりました。T字形 ER法は色褪せて見えた。そして、それを モデル 論で再新する事を仕事にしました──私が 45才の時でした。事態を観る自分と観られる事態との間に、どんな先入観も介入させない事、自分と対象との間のこの関係の中には、ただ「論理」の作用だけを認めればいい、というふうな考えかたを私は持つ様になりました。

 「好きこそ物の上手なれ」、私は、もうこんな格言を信じてはいない。「己ヲ直トセザル」事、そして成すべき事を為せ──私が仕事の中で掴んだ教訓です。

 
 (2013年 3月16日)

 

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