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It seemed to me a little eternity.

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション eternity のなかで、以下の文が私を惹きました。

    Eternity's terrible thought. I mean, where's
    it going to end?

    Tom Stoppard (1937- ) Czech-born British dramatist.
    Resencrantz and Guildenstern Are Dead, U

 
 Eternity の意味は、英英辞典に依れば、次の様です (COBUILD)。

    1 Eternity is time without an end or a state of exist-
    ence outside time, especially the state which some
    people believe they will pass into after they have
    died.

    2 If you say that a situation lasted for an eternity,
    you mean that it seemed to last an extremely long
    time, usually because it was boring or unpleasant.

 定義の一番目は、宗教的色彩を帯びていますね。「聖書 (The Bible)」 を調べてみたら、「永遠」 という語が 94回ほど使われていました (「新共同訳聖書」 の日本語翻訳文を調べたので、原文ではどうなのかわからない)。定義の二番目は、逆に、negative な意味あいを持っていますね、boring とか unpleasant である、と。

 宗教的意味あいの 「永遠」 は、私には語る事ができないので、定義の二番目の意味あいの 「永遠」 について考えてみます。It seemed to me a little eternity とか live an eternity in a minute という言いかたがありますが、「一日千秋の思い」 という意味です。それを boring や unpleasant と感じるかどうかは、本人の気持ち次第でしょうね。好意を抱いていた人と初めて デート した時は、この時が永遠に続いてほしいと願うだろうし、顔を見たくないほど嫌いな人と対座した時は、(時間が速く過ぎてほしいのに、) 時間がまるで止まって了った様に感じる──物理的時間に対して直感的時間というものがあって、「愉しい事に夢中になっている時は時間が短く感じられ、厭な事をやらなければならない時に時間が長く感じられる」 という事を我々は普通に感じているでしょう。しかし、「(物事には) 終わりがある」 という事を意識しているからこそ、愉しい事の永続を望み、あるいは、厭な事に耐え得るのでしょう。

 我々の感情は気儘なもので無秩序ですが、これを調 (ととの) えるのが、「時間」 ではないか。時間の範囲が限られ、終わりに近づくにつれて、我々は物事を整え様とする──もし締めきりがなかったら、我々は、物事を成し得ないのではないか、「いずれ取り掛かる」──言い替えれば、「いつでも取り掛かる事ができる」──ので。我々の人生は、喩えれば、白紙の書物に書き込んでいく様なもので、その締めきりが死亡日です (ただし、締切日は確実に来るが明示されていない)。そして、人生に ピリオド を打ってはじめて、生前に書き込んだ事が推敲改訂のできないその人の人柄として浮かびあがるのでしょう。「永遠」 という締切日のない [ 死亡日のない ] そんな見通しの利かない (生きかたの推敲改訂が限りなく可能で終わりのない) 化け物じみた世界に生まれたとしたら、私は、たぶん、努力などしないでしょうね──「いつでも、できる」 と思って。

 50才を越えれば、老い (肉体的な衰え) を感じざるを得ない。大抵の人々は、その時に、このままで人生を終えていいのかという思いが募るのではないか。つまり、人生の終わりから今までの人生を観ている。その時に、「永遠」 を夢想しがちです──「人生をやり直せるものなら、やり直したい」 と大半の人々は思うのではないか [ 少なくとも、私はそう思いました ]。還暦にもなれば、残された時間が少ないと意識する様になる。道草を食う余裕はない。以前に立てた目標に向かって──道半ばの状態であるので──、それを実現するために力を尽くしたいと思うし、そうしなければ、貧乏になる事を覚悟のうえで モデル 論に取り組んだ私の人生が価値のないものになってしまう。そして、そういうふうに実感して、人生を振り返ってみれば、有限の──死ぬ事によって──完結する他はない生の意味を納得するでしょう。「永遠」 という観念は、束の間に立ち止まった時に──幸せな一時 (ひととき) などに──夢想する様ですね。それは或る種の想いを形容した、確固たる対象がもともと無い状態語でしょう。ただし、宗教的な 「永遠」 は、はじめに断った様に、私には語る事ができないので、除外している事を改めて述べて置きます。私は自分が語れない事を否定するつもりはないので。

 
 (2013年 4月16日)

 

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