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Good is a good doctor, but Bad is sometimes a better. (Emerson)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション evil のなかで、以下の文が私を惹きました。

    It takes a certain courage and a certain
    greatness even to be truly base.

    Jean Anouilh (1910-87) French dramatist.
    Ardele

 
 Base の意味は、Oxford Advanced Learner's Dictinary に依れば、(fml derog) not honourable; without moral principles: acting from base motives

 日本語に翻訳しにくい文ですね── a certain、even と truly が翻訳を難しくしています。強いて訳せば、「上昇志向がなく [ 無節操で ] 正 (まさ) に下賤でいる事は、或る程度の勇気と或る程度の偉大さを要する」 という事かしら。文脈がわからないので、to be truly base について書き手の態度は for (共感) にも against (反対) にも読めますが、1つの アフォリズム として考えれば、even to be truly base を擁護している様に私は思います。逆説めいていますね。

 私は、引用文を読んだ時に、有島武郎氏の作品 (「カイン の末裔」、「或る女」) を思い起こしました。いずれの作品の主人公たちも社会的通念の埒外にいて、教養ある人々から観れば自堕落な生きかたに思えるけれど──特に、「カイン の末裔」 の主人公 広岡仁右衛門はそうですが──有島武郎氏は、「知的生活」 の粧いに嫌気がさして、個性を充実する 「本能的生活」 を希 (ねが) いました (その考えを綴った作品が 「惜しみなく愛は奪う」 です)。社会的通念は人前に持ちだしても恥をかかない社会的衣装でしかない、社会的通念で自分を粧うのは もう厭だ、と彼は叫びたかったのでしょう。有島武郎氏ほどの教養人が、教養を積めば積むほどに懐疑的になって、己の個性が社会的教養と折りあわない事に苦しんでいます──西洋的思考 (個の尊重) に慣れ親しんだ有島武郎氏は、当時の社会的通念 (家 [ 階級・身分 ] の尊重、女性蔑視) [ それがために抑えられている個性 ] を主題にした作品を制作しています。現代は、当時とは社会の構成条件が変わっていますが──当時に較べて、日本も西洋 (欧米) 化が進んでいますが──、それでも、日本人は、個性を主張する事が生意気であると いまだに見做(みな)す風潮があるのではないかしら。日本の西洋化は、西洋の制度を、その制度を生んだ精神を抜きにして、真似しているだけではないかしら。

 私は RDB (リレーショナル・データベース) を日本に導入した先駆的人物とされている様ですが、私にはその 「先駆的」 という意味は 「猿真似」 という意味でしかない──私は英語を日本語にしただけです。我々はコンピュータに関する西洋の論を学んで来ました。西洋に学ばざるを得なかった我が国の特殊な運命はしかたなかったにせよ、今では、日本にもすぐれた研究家たちがいます(例えば、本橋信義氏、田中一之氏)。そういう事を見逃しているから、システム・エンジニア たちは日本人の論文なんてという顔をしているのでしょう。私は モデル 技術の体系化を今まで試みましたが、外国文献を説明する立場で仕事した事は (コッド 関係 モデル を除いて) 二つとない。それは、他人の考えをわかりやすく説明するのは私の柄でなかったためです。そして、私の考えを拡充するために外国文献を読みはしますが、西洋の説を祖述するのは、もう飽きました。こういう文を綴れば、「独断的」 「高慢」 という非難を私は浴びるでしょうね (笑)。そして、通説を信じている人たちの眼には、私は truly base として映るでしょう (笑)。通説を学ぶのは宜しい、しかし、それを実地に適用してみれば、覚えた知識だけでは──況 (まし) て、通論の様な概説では──埒が明かないので工夫せざるを得ないでしょう。勿論、その工夫は、「論理」 に適 (かな) ったものでなければならない。通説が正しい訳じゃない、寧ろ通説を疑って疑って [ 積疑 ]、疑った末に 「論理に因る構成法」 しか信じないという態度が システム・エンジニア の態度ではないかしら。

 逆説とは、素直な観察と烈しい思考から産まれるのであって、(素直な観察を省 (はぶ) いて、) 頭の中で単に反対の事を考え出すのではないでしょうね。通説を疑わない、逆説を知らない聡明さは、物事を先ず観ていないと思っていいのではないかしら。通説に対して逆説としかならない様な真実もある。引用文を読んで私はそう思いました。

 
 (2013年 5月 1日)

 

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