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Eat to live and not live to eat (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Food のなかで、次の文が私を惹きました。

    The best number for a dinner party is two --
    myself and a dam' good head waiter.

    Nubar Gulbenkian (1896 - 1972) Turkish oil magnate.
    Attrib.

 
 Food の セクション には 50編の引用句が記載されていたのですが、私が最終的に選んだのは上の引用文です。「最終的に選んだ」 というのは、当初 他の文を選んで エッセー を一度 綴ったのですが、エッセー の中身に納得できなくて削除した次第です──最初に綴った エッセー は、日頃の食事の メニュー に関するもので、私の学生時代から今に至るまでの食事について記憶にある限りに事実を正確に綴ったのですが、読み返してみて、面白くなかったので削除しました (綴っている最中は、昔のことを思い出して懐かしく興に乗っていたのですが、、、)。

 さて、引用文の出だし (The best number for a dinner party is two) を読めば、two の指しているものとして、次の文では 「恋人あるいは妻」 を想像するのが普通ですが、「腕のいい ウェイター」 と意表をついた オチ がいい。おそらく、Nubar 氏が この ことば を語ったのは、或る程度の年齢を重ねた頃 (壮年あるいは、初老) であって、しかも (オチを言うつもりはなくて) 自分の願望を淡々と述べた、と私は想像します。そして、私も初老 (64歳) になって、Nubar 氏の気持ちを実感します。

 恋人と デート する時、最初の頃 (熱愛の頃) は酒とか食事をいっしょにするでしょう。でも、つきあい が長くなれば、いずれ、それも飽きるのが通例でしょう (そうでない人たちもいますが)。夫婦となって、最初の頃は妻の手料理を うれしかったのですが、(共稼ぎともなれば) 次第に いっしょに晩飯をとる機会も少なくなって、ついには旦那は一人で晩酌する、というふうになってしまうのではないかしら [ 我が家の事かw ]。一人で食事するのは、若い頃には虚しかったのですが、還暦をすぎれば、一人晩酌は心地良い。我々は、どうしても、一人になる空間・時間を欲しているのではないか?

 還暦をすぎて 「人間嫌い」 にならなかった人たちは、幸いでしょうね──私は、「人間嫌い」 です (I'm not people person)。だから、Nubar 氏の ことば に共感できる。そう感じるのは、私が年老いた所為か、、、。でも、ひょっとしたら、引用文は、会食では、相手がいたら会話の気遣いなどしなければならないので、food を味わうことができない。ほんとうに food を味わおうと思ったら、相手として good head waiter が一番にいい、という意味かもしれない。

 
 (2017年10月 1日)

 

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