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Let bygones be bygones. (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Forgiveness のなかで、次の文が私を惹きました。

    Forgive and forget.

    Proverb

 
    Beware of the man who does not return your
    blow: he neither forgives you nor allows you
    to forgive yourself.

    George Bernard Shaw (1856-1950) Irish dramatist and critic.
    Man and Superman, 'Maxims for Revolutionists'

 
    The stupid neither forgive nor forget; the
    naive forgive and forget; the wise forgive but
    do not forget.

    Thomas Szasz (1920- ) US psychiatrist.
    The Second Sin

 
 Forgive の意味は、cease to feel angry or resentful towards (person) or about (offfence) です (Pocket Oxford Dictionary)。私は他人に対して めったに怒らないので、forgive and forget したほうがいいかなと思うようなことを振り返ってみたのですが、ふたつくらいしか思い出さなかった──しかし、この ふたつは、(forgive and forget ではなくて) forgive but do not forget に該 (あてはま) る。そして、私が私自身に対して forgive を乞うことは、ひとつ あるけれど、自分自身に対して forgive を乞うても、自分で自分の罪を批評して罪をもてあそぶことにならないか──自身を許して忘れられるほど単純な [ 自分に都合のいいような ] 反省などないでしょうね。私は黙ってそれに堪えるしかない。

 私は、自分の為した事を事後に反芻して悩むほうですが──いわゆる 「こじらせ」 系です──、でも、暫く そのことばかりを考えていれば、考えの末は悩みが飛散して忽然と明るい・軽い気分になる。その意味では、私は楽天家なのでしょうね。他人を forgive but do not forget だと思うことが ふたつ あって、自身に対しては ひとつ あると前述しましたが、他の人たちと比べて、根に持つような怒りが多いのか少ないのかわからないけれど、私の年齢 (64才) を鑑みると、少ないほうではないかと私自身は思っています。

 実際、私の若い頃には、「君 (きみ) には悩みがないだろう」 と凡暗な自惚れた先輩に言われたことがあるw (彼は彼自身を悩みに苦しむ悲劇のひとであると思っているのかしら、その先輩に対して私は言いたい──「人前では笑顔でいて、泣くなら陰 (かげ) で泣いて下さいね」とw)。さきほど綴ったように、私は悩むほうです。他人から嫌なことをされたら、他人を恨むことはしないけれど、私自身に落ち度があったかどうかを考え込んで悩みます (内省的な性質です)。しかし、暫くすれば (眠れば癒されて)、楽天家だから、そんなことは自然と忘れてしまう。それでも、忘れられない 「他人に対する怒り」 は、ふたつ ある (そして、その ふたつ とも、同一人物に対する怒りです!)。

 おそらく、他の人たちが私に対して抱いている [ 根に持っている ] 怒りは数多いと思います。というのは、私は、他人を非難するときは容赦なく辛辣に叩くので。私は、めったに他人を非難しないのですが、いったん非難するとなれば容赦しない──勿論、私のほうでも、覚悟にうえで非難しています。特に、いっぱし専門家を気取った 「とかく臭気 (くさみ) の付 (つく) 族」 が物事を知り尽くしているかの様に (しかも、他人の言説を借用したままの半可通な) 意見を言えば、手加減しない。そういう態度は、大人気 (おとなげ) ないと自分自身でも思うのですが、そういう輩を観ると苛立たしい。私は、たいがいの事は聞き流すのですが、こういう連中だけは腹に据えかねる。

 Forgive は意識して為すことができるでしょうが、forget は意識してできることじゃない。Forgive and forget できる人というのは、たぶん、そもそも相手が為したことに無頓着な人ではないか。たとえば、他に集中していることがあって、それ以外のことはどうでもいい、と。私は私自身をそういう類の ヤツ だと思う。そういう ヤツ は、forgive and forget しているからといって、高徳だという訳じゃない。寧ろ、そういう態度が相手をいっそう苛々させるのかもしれない──相手の側からみれば、「相手にされていない」 という侮辱を感じるのでしょう。ひとこと言い訳をすれば、この歳 (64才) になって仕事 (事業分析・データ 設計のための モデル 技術を考える仕事) を続けていれば、それ以外のことに思考を巡らす余裕がない。もっとも、私の元来の性質なのかもしれないけれど、、、。

 
 (2017年11月 1日)

 

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