このウインドウを閉じる

When I give I give myself. (Walt Whitman)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Gifts のなかで、次の文が私を惹きました。

    The manner of giving is worth more than the gifts.

    Pierre Corneille (1606-84) French dramatist.
    Le Menteur, T: 1

 
    If one doesn't get birthday present it can
    remobilize very painfully the persecutory
    anxiety which usually follow birth.

    Henry Reed (1914-86) British poet and dramatist.
    The Primal Scene, as it were

 
 贈り物の配慮は、贈る相手が public での つきあい と private の つきあい とでは違ってくるでしょう。Public の場合は、贈り物も取引のひとつですので本 エッセー の対象から外して、private について述べてみます。

 Private での贈り物の相手は、友だち・親族・恋人・妻でしょう。そして、贈り物の時機は、記念日 (誕生日、結婚記念日など) が多いでしょうね。結婚してから暫くのあいだは互いの誕生日や結婚記念日に記念品を贈るでしょうが、20年・30年もいっしょに生活していると、しまいには贈り物をしなくなることが多いのではないでしょうか [ 我が家もそうです (苦笑)]。私事ですが、昨年の 10月は、結婚して 30年目の節目 (真珠婚式) だったので、私は家内に真珠の ネックレス を贈りました。普段は記念日に無頓着な私が贈り物をしたので、家内は びっくりしていましたが。「はい、これ。結婚して 30年目の記念」 としか言わなかったので、私の贈り物に家内も びっくりして 「え!? はい」 と言って受け取りました。そして、私は書斎に戻って仕事を続けた。どうもそういう贈り物は私には面映ゆい。今の若い人たちは スマート に実践するでしょうが、我々の年齢 (65才近い) では恥ずかしい。

 私は、今の若い人たちを見ていて、うらやましい。贈り物のしかたも、私のような初老に比べて、スマート です。引用文の一番目は、贈り物は うれしいが、それに比して、贈る マナー のほうが価値がある、と。実は、私は今まで結婚記念日に贈り物をしたことが一度もなかった。30年目にして初めて贈りました。だから、家内が びっくり仰天したのでしょう。

 以前、SmartNews (スマホ のアプリ) で、「恋愛」 の カテゴリー の記事のなかで、恋人どうしが誕生日に会って祝っている事を読んで、私の若い頃を思い起こしました──「私の若い頃もそうだったな、今でも同じなんだなあ」 と。自分の生活を振り返って、結婚後に (10年くらいのあいだは誕生日には祝った記憶があるけれど) 結婚記念日を祝ったことが一度もないことに気付いた。しかも、結婚して 30年目の節目だった。なにもしないのは まずいだろうなあ、と思ったけれど、如何せん今まで なにもしなかったので、急に贈り物をするのも変かな、と戸惑った──例年の マナー になっていなかったので。だから、突拍子もない不格好な振る舞いになった (「サプライズ」 などと云えるような スマート なものじゃない)。それでも、贈る側からみれば、贈り物は自分の心を確認する一つの手段でしょうね。

 贈り物は、どんな細 (ささ) やかな物でも うれしい──その心遣いが ひとつの贈り物だから。しかし、結婚記念日に贈り物をしない夫婦もいるでしょう。その夫婦は仲が悪いという訳じゃない。40年もいっしょに生活してくれば、一心同体というふうな関係でしょう。標題に引用した 「When I give I give myself」 という関係なのでしょうね、私よりも年配の夫婦 (親戚の夫婦たち) がそうです。若い人たちが記念日に贈り物をして互いの愛を確認しあうことを うらやましいと思ういっぽうで、ほとんど会話を交わさないけれど固く結びついた老夫婦にも私は憧れます。

 
 (2018年 3月15日)

 

  このウインドウを閉じる