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I wouldn't believe Hitler was dead, even if he told me so himself. (Hjalmar Schacht)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Hitler の中で、次の文が私を惹きました。

    That garrulout monk.

    Benito Mussolini (1883-1945) Italian dictator.
    Referring to Hitler
    The Second World War, (W. Churchill)

 
    A racing tipster who only reached Hitler's
    level of accuracy would not do well for his
    clients.

    A. J. P. Taylor (1906- ) British historian.
    The Origins of the Second World War, Ch. 7

 
    Germany was the cause of Hitler just as
    much as Chicago is responsible for the
    Chicago Tribune.

    Alexander Woollcott (1887-1943) US writer and critic.
    Woollcott died after the broadcast
    Radio broadcast, 1943

 
 20世紀の歴史上、世界に対して最大の影響を及ぼした人物は ヒットラー であることは疑いないでしょう。ヒットラー は第二次世界大戦を起こした 「独裁者 (独裁的な政治家・軍司令官)」 ですが、一人の人物が世界を どうして あれほどまでに破壊できたのか、逆に言えば、初期の段階において、どうして誰も彼を止めることができなかったのかということが私の疑問点なのです──同じ疑問は、日本が アジア・太平洋戦争に突き進む道程においても言えます。

 独裁者といえども独りの力では政治も軍事も動かすことはできないので、彼を支える有能な側近たちが居て独裁者の意に沿って働いて、そして 「反対派への弾圧」 および 「民衆の同調」 がなければ、独裁は実現しないでしょう。私が問いたいのは、「民衆の同調」 が民衆の暴走として時に変質することが どうして起こるのかということです。

 ヒットラー も ムッソリーニ も演説が巧みだったそうですが、現代の我々の目から観れば、彼らの演説は ずいぶんと仰々しい、寧ろその過剰な芝居に対して観ている我々が恥ずかしさを覚えるくらいなのですが、当時の大衆は熱狂した。第一次世界大戦の敗戦国 ドイツ は多額の倍賞に疲弊していた。その ドイツ 経済を ヒットラー は立て直して、ドイツ 国民の生活を経済的に裕福にし、(第一次世界大戦で喪った) 国民の自信を回復しました。その様子は、YouTube に アップロード されている動画で観ることができます。

 そして、彼らの死にざまも動画が遺されています──ムッソリーニ は (彼の愛人と数人の仲間とともに) パルチザン に銃殺され、遺体は市中の広場に運ばれて宙づりにされた (逆さに吊しあげられた)。夥しい数の民衆が彼らの遺体を取り巻いて観ている。その時の様子を伝える動画が YouTube に アップロード されています。しかし、当初、ムッソリーニ に熱狂したのも民衆です。ヒットラー の最期については映像が遺っていないのですが、彼の最期において地下壕でいっしょに過ごした人たち [ 側近たち、秘書、家政婦など ] の証言 (供述調書) が遺されています。それらの証言も YouTube に アップロード されています。

 ヒットラー の演説している映像を観て私が感じる印象は、彼は いわゆる カリスマ 性を持っていたと言えるでしょうね。しかし、彼の近くに居た人たちのなかには、ヒットラー は 当初 優柔不断だったと言う人もいました。もし そうだとしたら、彼に自信を与えたのは民衆の同調だったというしかない。そして、自信を持ち始めた人が往々にして陥るように ヒットラー も次第に頑迷になっていったようです──終いには、彼は周りの人々の言うことに耳を貸さなかったそうです。

 引用文の一番目で、ムッソリーニ は、ヒットラー のことを 「おしゃべりな修道僧」 と述べています──修道僧というのは自己を律した厳格な寡黙な人物というふうな印象なのですが、そういう雰囲気を持ちながら 「おしゃべり (extremely talkative)」 という、厳正な規律と情熱的な饒舌とが混ざった魅力なのか、それとも修道僧みたいな印象だが実は軽薄な自己中な人物だと言いたかったのか、いずれにしても ムッソリーニ に訊いてみないとわからないでしょうね。ムッソリーニ には愛人 クララ・ペタッチ がいたけれど [ ヒットラー にも エヴァ・ブラウン という恋人がいましたが、地下壕のなかで彼は自決する前日に彼女と結婚しました ]、民衆に対して ヒットラー は 「独身、禁酒、禁煙、菜食」 の禁欲的な (修道増のような) 人物という印象を与えていたそうです。

 ヒットラー には民衆を酔わせる魅力があったのでしょうね。そうでなければ、民衆が彼に対して 当初 あれほどの熱狂的な支持を与える訳がない。そして、彼の言説のなかに危険な匂いを嗅ぎつけた人たちがいたけれど、民衆が彼に同調する空気のなかで、彼に反対する人たちは弾圧され排除された。弾圧は後 (あと) になればなるほど烈しくなるのが その通常の成り行きでしょう。そして、もはや、彼に対して表立って反対することはできなくなってしまう。それが独裁が形成される道程でしょう。やがて、遂に、民衆が弾圧され、彼の言説に酔っていた民衆が正気に戻っても、もう後戻りができない時点まできてしまった。現代の目から ヒットラー の独裁を そういうふうに総括することは容易 (たやす) い。

 しかし、私が もし当時の ドイツ 人であったならば、ヒットラー 政権下、弾圧の初期の段階で、(彼に抵抗したら殺されるかもしれないという恐怖のなかで) ヒットラー 反対を公にすることが自分にはできるかと自問してみると、たぶん、私は書斎に逃げ込んで閉じ籠もって沈黙したまま我関せずの態度をとってしまうのではないかという おそれ を抱いています──ただ、もし そういう情けない態度に逃げるのであれば、ヒットラー が死んだ後になって、「私は彼の やりかた には当初から反対していた」 と言うような無様 (ぶざま) なことは 毛頭 言わないでしょう。私は、たぶん、沈黙したままでしょうね。

 沈黙することは免罪符にはならない、寧ろ 「無作為の罪」 と非難されていいでしょう──戦争において、「人道に対する罪」 が成り立つのだから。そして、戦争に対して (賛成しないとしても) 反対を表明しないのだから。

 事にあたっての実際の態度に較べたら、事後の言論 (釈明) など いかようにも組むことができる──それが言語 (論説) の そもそもの性質なのだから。逆に、行動を誘発する言説が 「思想」 という名に値するのでしょうね。そして、「思想」 という大義名分が立つと、その 「思想」 を信じる一人ひとりなど どうでもいいことにされる。なぜなら、「思想」(大義名分) を維持すること [ 崩さないこと、存続させること ] が重大事になるから。「思想」 とか 「制度」 は、いったん作られると、それ自体は存続することが目的となってしまう危険性を孕んでいる。

 実態を隠蔽して大義名分を ゴリ押した悲劇を我々は、歴史の随所で、そして現代の企業組織・社会習慣のなかで数々と観てきているではないか。そういう事件について テレビ の ニュース 報道を独りで観て批評することは実に容易いが、事件の渦中に──しかも、世間の多数が自分とは反対の意見を持っている空気のなかで──もし自分が居たら どう振る舞うかを想像してみればいい。

 ヒットラー の映画 (ドキュメンタリー) を観て、私は色々と考えさせられる──ヒットラー は、我々とは違う並外れた才識を持っていたのだろうか、、、勿論、並の才知以上のものは持っていただろうけれど、たった独りの人間ができることなど高が知れている、彼の思想 (アーリア 人の優位性、ユダヤ 人への嫌悪・排斥) を 「他民族の殲滅」 という狂気にまで走らせたのは民衆の当初の同調と ゲーリング や ヒムラー や ヘス などの側近たちの 「忖度」 があったからではなかったのか [ ヒットラー 自身は、「ユダヤ 人を殲滅する」 という命令を部下に対して直接に書類などで発していないし絶滅収容所を一度も訪れてはいない──明証をのこさないために ]。ゲットー の建設を黙認したのは民衆ではなかったのか。英雄を作るのは、彼を賛美する人たちなのではないか。ヒットラー が仕掛けた戦争を racist's war として非難した後世の人たちもいます [ ヒストリー・チャンネル の番組 「The Secrets of War」 の シリーズ なかで その単語 (racist's war) が語られていました ]。

 ヒットラー 独裁制のなかで私はどう振る舞うだろうかという想像は、どこまでいっても仮想にすぎない。実際の情況になってみなければ、私は どのように対応するのか わからない。そして、幸いなことに、日本の現代社会は、民衆の思想統制などは できない社会でしょう (ネット 社会では いくぶんかの同調作用が強く現れることがあるけれども)。そして、上からの [ 権力層からの ] 思想統制が できない社会では、その社会の空気 [ 動向 ] を作るのは紛れもなく民衆でしょう。

 私は、「アウシュビッツ収容所」 に関する書物を読むたびに、激しい身体運動をした後のような強度の疲労感を覚えます。そして、言いようのない やるせなさ に襲われる。何故、このようなことが実際に起こったのか、、、何故、ヒットラー の暴走を止めることができなかったのか、、、何故、ユダヤ 人は抵抗しなかったのか、、、史料を読めば読むほど、数多くの疑問が浮かんでくる。歴史を学ぶには正確な史料がなければならないのですが、正確な史料があれば歴史を学ぶことができる訳ではないということを私は痛感しています──そして、歴史の舞台には、民衆という目に見えない・得体の知れない幽霊が常に跋扈していることも感じています。

 
[ 追記 ]

 芥川龍之介氏は、「政治的天才」 と題して、次の文を綴っています (「侏儒の言葉」)──

 古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。ナポレオン は 「荘厳と滑稽との差は僅かに一歩である」 と云った。この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

 この文は ヒットラー に そのまま当て嵌まるようですね。

 
 (2018年11月 1日)

 

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